知ってトクする
白金 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30
31 32
トウモロコシ 1 2

2002/11/18
万年筆用需要から軍需物資へ大転換 貴金属/白金編32
 明治から大正時代にかけて、世界的な万年筆需要、及び宝飾品需要の急増を追い風に、歴史的な上昇相場を演じた砂白金(イリドスミン)であるが、昭和に入っていわゆる世界的な大不況に陥ると一転して供給過剰となって、下げ基調を余儀なくされた。ちなみに、この間の砂白金の国内価格(納入価格)を見ると、明治30年の1匁当たり50銭から、大正14年には52円の高値を記録、実に104倍に跳ね上がったが、昭和7年には13円と高値から4分の1にまで崩落している。

軍需物資としての需要拡大
 ところが、昭和6年に満州事変が勃発、同12年には日中事変に拡大し、戦時ムードが急速に色濃くなると、砂白金を取り巻く情勢も様変わりする。

 日本政府は、砂白金を軍需優先物資として昭和12年10月28日に『白金使用制限規則』を制定、これにより白金を装飾品などに使用することを全面的に禁止した。これを契機に、戦闘機や電気工業、火薬製造、医療機器などの軍需物資として砂白金の需要量は増大の一途を辿ることになる。しかし、こうした軍事目的の需要増大に生産が全く追い付くことが出来ずに価格は暴騰した。

 昭和15年5月14日には、商工省令第31号により、『白金配給統制規制』を制定、施行すると同時に日本貴金属株式会社を統制会社に指定した。これは日本貴金属と同社が指定した業者以外は、白金などの採取、精錬、輸入、販売を禁止するという非常に厳しい規正法であった。

 ともあれ、当時の統制会社、日本貴金属は北海道の業者を指定業者に選定し、同地域における砂白金の事業を一手に取り扱うことになる。しかし、軍当局の増産令にもかかわらず、生産量はほとんど増えることはなかった。砂白金の生産量は結局、軍当局の要請の半分以下だったという。これは当時の採掘技術がまだまだ未熟なものだったことも影響していたという。

戦争を背景とした悲劇
 更に、昭和16年12月8日に太平洋戦争に突入すると、日本への白金輸入は完全にストップし、重要軍需物資のひとつである白金は北海道産の砂白金への依存度を一段と強めることとなった。戦時中に商工大臣を務めていた岸信介氏(故人)は、砂白金の増産を促進するために、新会社となる帝国砂白金開発有限会社を設立、北海道に所在していた開発会社38社がこの新会社の管轄下に置かれたばかりでなく、大部分の鉱区が強制買収された。

 また、この政府至上命令である増産を達成するためには、国内の鉱山労働者だけではとても足りず、昭和18年には朝鮮半島から強制的に連行した労務者約2,000人に加え、学徒勤労隊、女子挺身隊までも投入した。しかし、それまで鉱山労働に就いた経験がまるでない労働者は下層階級として食料など様々な面で冷遇され続けた。零下35度という厳寒での労働はあまりにも厳しく、飢えと寒さによる死者が続出した。その結果、岸信介氏の思惑に反して砂白金の増産計画はほとんど成果を上げることが出来なかったという。

【参考文献】『プラチナのすべて』(田中貴金属工業)、『プラチナの魅力』(渡部行著、日本工業新聞社)、『プラチナ2002』(ジョンソン・マッセイ社)、『プラチナ2001』(同)、『プラチナ2000』(同)

2002/10/21
日本人がプラチナを愛好する理由? 貴金属/白金編31
 プラチナの気品高い雰囲気は、世界中で愛されているが、なんといっても日本人ほどプラチナ好きはいない。日本は世界でも有数のプラチナ消費国。米系の某ヘッジファンドの総帥がプラチナを『ジャパン・メタル』と呼んだのは有名な話である。また、市況動向を見ても、東証株価や日本の景気動向を反映して、プラチナの国際価格が上下に激しく変動する局面もしばしば見られる。プラチナの世界需給に多大な影響を及ぼす日本は、価格面でも世界をリードしているのである。

 それにしても日本人はなぜ、これほどまでにプラチナを愛好しているのだろうか? その背景を探ってみよう。

昔の日本女性は控えめ?
 プラチナが日本の庶民の間に浸透したのは、そう古くはない。
 前回までに述べたように、日本で“砂白金”と呼ばれるイリドスミンが本格的に採取されるようになったのは明治20年代を迎えてからであるが、ちょうどこの時期に欧州からプラチナを懐中時計の鎖や側面に装飾した製品が輸入され始めている。

 この頃から、日本でも欧米文化の浸透とともに当時としては斬新なデザインの宝飾品が出回り始め、精密加工の技術が育まれ、大正時代を迎えるころには一般庶民の間にもプラチナに対する人気が高まってきたのである。

 ちなみに、それまでの日本の女性たちの間で宝飾品として人気が高かったのが“銀”であった。昔の日本女性の多くはキラキラとした金よりも、しっとりとした控えめの銀を好んだとされている。この延長線上として、銀よりもはるかに厚みとうるおいのある輝きを持つ、プラチナの人気化につながったとされている。

皇室も愛好する
 また、日本女性がプラチナを好むもう一つの原因として、皇室とのつながりも指摘される。というのも、日本で一番早い時期からプラチナを愛好したのが皇室だったからだ。

 大正4年には、黒田清輝画伯に対して、宮内庁から皇室第一公式胸飾の制作が依頼されている。現在でも皇室が公式行事に用いる装身具のほとんどは、プラチナにダイヤモンドや真珠をあしらった伝統的なスタイルが守られており、そうしたことが日本女性のファッションにも多大な影響を与えた。

芸者の存在も見逃せない
 ところで、日本のプラチナ需要に貢献した、もう一つの要因として芸者の存在が挙げられる。当時の芸者は、若いうちはお座敷の声もかかり、はぶりもいいのだが、やはり老後に備えて蓄財しなければならない。しかし、相手の男性にお金を求めることは『いやしい行為』であるため、換金が容易に出来る装飾品をねだることになった。折りしも、当時の日本は第一次世界大戦の戦勝国で大変な好景気であったことも手伝い、芸者たちはプラチナ製のかんざしや帯留め、指輪などを老後に備えて蓄え、ときには外出時に身につけたりしたのである。これが次第に庶民の間にも浸透した。

【参考文献】『プラチナ2002』(ジョンソン・マッセイ社)、『プラチナのすべて』(田中貴金属工業)、『プラチナの魅力』(渡部行著、日本工業新聞社)、『AVENIR〜豊かさを志向するひとたちの情報誌』(エース交易)

2002/9/9
砂白金の人気沸騰 その背景に何が? 貴金属/白金編30
 明治時代に日本の北海道を中心に採取されていた“砂白金”イリドスミンは融点が極めて高く、溶解が困難で、しかも硬い物質であるために装飾品などの細工にも適していなかったことから、ほとんど価値のないものと見なされていた。明治29年に当時の北海道庁の調査報告では『イリドスミン鉱物(砂白金)は現状では標本以外に利用できない』としながらも、将来的に有望な鉱物資源になる可能性を指摘していたのであるが、業者にとっては文字通り“招かれざる客”以外の何者でもなかった。

突然の価格高騰!!
 ところが、そうした“招かれざる客”のイリドスミンが脚光を浴びるのに、さほど時間はかからなかった。北海道庁が調査報告をとりまとめた翌年の明治30年には、イリドスミンは1匁(3.75グラム)当たり50銭で取引され、同34年には1円80銭、更に40年には2円50銭に値上がりした。つまり、10年ほどでイリドスミンの価値は5倍に跳ね上がったのである。

 この原因は神戸に本社のあった外資系トレーダーが、北海道で採取したイリドスミンを密かに買い集めて、輸出したからである。ちなみに、明治30年に日本国内で1匁当たり50銭で取引されていたイリドスミンは、海外ではなんと32倍の16円で売買されていたのである。神戸の外資系トレーダーが、イリドスミンで大変な利益を上げていたことは想像に難くない。情報通信が発達した現在では、インターネットなどで様々な情報を入手することが出来るが、明治時代は一般の人々がイリドスミンの国際価格を知ることは困難であった。

 それにしても、イリドスミンの国際価格が、国内価格に比べそれほどまでに高い値段をつけていたのはなぜなのだろうか?

万年筆需要が急増
 その理由としては、なんといっても万年筆の存在が挙げられる。当時、万年筆とインクは世界的に普及していたが、インクはペン先の金属を著しく腐食するという性質があった。このため、当初は耐食性に強く、豪華な金をペン先に使った万年筆が人気化したわけであるが、金は柔らかく、ペン先が磨耗するという欠点があった。そこで、硬くて減らないイリドスミンが注目されたのである。

 このように万年筆の需要が増大するにつれて、日本国内でも万年筆メーカーが乱立し、イリドスミンの需要も劇的に増加した。大正時代を迎えると、北海道の生産地域にはイリドスミンのブローカーが殺到し、価格はないものねだりのように暴騰に次ぐ暴騰を演じたのである。明治30年に1匁当たり50銭だったイリドスミン価格は、大正8年には45円、実に90倍にまで跳ね上がっていた。

金から砂白金へ
 ちなみに、大正5年に札幌鉱山監督局に提出された生産業者、及びブローカーの鉱区出願件数は砂金鉱区90に対して、イリドスミン鉱区が36であった。ところが、同7年には砂金41、イリドスミン56と両者が逆転、更に昭和元年には砂金44に対して、イリドスミンが236にまで拡大している。この頃には『金よりも、イリドスミンのほうが儲かる』というのが、業界関係者の間で常識化していた。

2002/7/15
日本で発見された“砂白金”とは? 貴金属/白金編29
 PGM(白金、パラジウム、ロジウム、イリジウム、オスミウムなど)の生産はその90%強が南アフリカとロシアに偏在しているのが大きな特徴で、残りのわずか10%弱は北米地域で採取されている。当然、日本ではPGMは産出されていない。ただし、多くの文献を調べてみると、日本でも昭和30年代前半までは北海道で“砂白金”と呼ばれる物質が採取されていたという記録が残されている。

白金はわずか0.7%
 北海道産の“砂白金”は文字通り、砂状になっている天然のPGMのことである。化学的にはイリジウムが62.5%、オスミウム20.2%、ルテニウム14.4%、ロジウム1.2%、パラジウム0.1%、プラチナ0.7%、その他0.9%で構成された物質である。プラチナはわずか0.7%しか含まれていないことから、専門家からは『正確には“白金”という名前を使うのは妥当ではない』との指摘もある。イリジウムとオスミウムを多く含むこの物質は“イリドスミン”とも呼ばれている。

 この“砂白金”が北海道でいつごろ発見されたかは不明である。文献によれば、明治23年ごろに夕張川や雨龍川の流域で砂金を採取しているときに『白色で重い金属が一緒に採取された』とされている。しかし、発見当初この“砂白金”の本当の価値を知らない人々は『やっかい者』として捨てていたのがほとんどであった。というのも、砂金に“砂白金”が混ざっていると融点が非常に高くなるため、溶解が困難で、しかも硬い物質であるために装飾品などの細工に適していなかったからだ。砂金に“砂砂金”が混ざっていると、砂金そのものの価格も引き下げられるという有り様で、業者にとって“砂白金”はまさに招かれざる客であった。

招かれざる客
 ちなみに、『プラチナ』という名前の由来は、1735年に南米コロンビアのニューグラナダ地方を流れるピント川で白い金属が発見され、これを『プラチナ・デル・ピント(ピント川の小粒の銀)』と呼んだことに由来する。当時のエピソードについては、本誌2000年10月16日号の『知ってトクする・貴金属/白金編C』で紹介しているが、このときもプラチナは『小粒の銀(銀よりも劣る金属)』として嫌われていたのである。北海道で“砂白金”が発見されたのは、これから155年後のことであるが、この段階でも“砂白金”が何であるのか、ましてどのような用途に適しているのかなどはさっぱり分からなかった。

道庁が本格的な調査へ
 “砂白金”が評価されるきっかけとなったのは、明治28年、当時の北海道庁が調査に乗り出し、夕張川上流で採取した“砂白金”を農商務省(当時)地質局で分析したことが始まりであった。翌29年にはこの調査結果が『道庁地質調査書』として報告されているが、それによると『イリドスミン鉱物(砂白金)は現状では標本以外に利用できないが、これに含まれるプラチナは金とほぼ同じ価格で需要も多いので、この両鉱は区別して販売すべきである』との結論を出している。

【参考文献】『プラチナ2002』(ジョンソン・マッセイ社)、『プラチナのすべて』(田中貴金属工業)、『プラチナの魅力』(渡部行著、日本工業新聞社)

2002/7/1
将来有望視される化学製品向け需要 貴金属/白金編28
 中国における化学部門のプラチナ需要は大きく分けると、@繊維産業、A肥料、農薬産業、Bシリコン、医薬品、などの付加価値性の高い産業…に分類することが出来る。まず、繊維産業は中国経済の発展とファッションの多様化が進むなかで、合成繊維の生産に欠くことのできないプラチナ触媒の重要性が増している。また、中国の繊維産業が合成繊維に傾斜している技術的理由として、農耕地不足も挙げられる。というのも、中国では農耕地不足が年々深刻化し、綿花の生産が限定されるなかで、相対的に合成繊維へのニーズが高まっているからだ。

農耕地不足で需要増加
 ちなみに、中国全土で農耕に適した土地は既に10%を切っているとの説もある。人口が毎年推定で1,500万人ずつ増加している中国では、綿よりも食糧の生産を優先しなければならず、それが繊維産業のプラチナ需要を押し上げる一因と指摘される。前回でも紹介したように、合成繊維に使用される化学製品にはカプロラクタム、パラキシレン、精製テレフタル酸、酢酸などがある。これら化学製品はナイロンやポリエステル、ポリエチレンなどの原料となるが、その製造過程でプラチナやパラジウム、ロジウム触媒が利用されている。また、中国では近年、農産物の収穫の増加につながる肥料や農薬産業への投資も拡大する方向にある。中国の窒素肥料生産の大部分は尿素をベースにしているが、これに関連して硝酸の製造も急増しており、その過程でプラチナ触媒網が利用されている。しかも、中国のプラチナ触媒網は、プラチナが剥離しやすいという問題を抱えており、そのために産業規模の割には多量のプラチナが消費されているという。中国のプラチナ触媒網の技術的改善が進むと肥料、及び農薬産業での消費量もピークアウトするが、それにはまだ時間がかかりそうである。

 一方、日本や欧米諸国ではシリコン、医薬品、調味料、香水など付加価値の高い化学製品の生産が化学産業のPGM(プラチナ、パラジウム、ロジウムなど)需要の大きな柱となっている。これに対して、中国でも特殊化学産業が外資の参入を促進しながら拡大路線へ移行しつつあり、将来的には日本や欧米諸国並みのスケールに成長する可能性を秘めている。

世界のハイテク工場へ
 また、中国はエレクトロニクス部門においてもプラチナの消費に大いに貢献することが期待されている。中国の鉄鋼生産は世界最大の規模に達しているが、この製鉄業で使用される処分可能型の熱電対にプラチナが利用されており、エレクトロニクス部門で最も重要な用途となっている。しかしながら、製鉄ばかりでなく、ハイテク関連も極めて有望だ。中国は人件費が安いため、外国企業はエレクトロニクス製品の組立工場などに積極的に投資しており、半導体、MLCC(多層セラミックコンデンサー)、ハードディスクの原材料となるプラチナ消費も着実に増加する傾向にある。エレクトロニクス部門では、こうした外資導入のほかにも、中国政府が独自の育成策を推進しており、世界のハイテク工場として重要なポジションを占めつつあるのが現状だ。

【参考文献】『プラチナ1997』(ジョンソン・マッセイ社)、『プラチナ1999』(同)、『プラチナのすべて』(田中貴金属工業)

2002/6/3
劇的な成長が続く中国の工業用需要 貴金属/白金編27
 中国における白金需要は全体の60%が宝飾加工用、残りの40%近くが工業用で構成されている。工業用需要は大きく分けて、@化学、Aエレクトロニクス、Bガラス、C石油精製…に分類することができる。工業用需要は一般的に景気動向に大きく左右されるが、中国の場合、工業化が始動してからまだ10年も経っていない。その意味では、中国の工業用需要には未知の可能性が秘められていると言っていいだろう。

生産施設の高度化進む
 中国では1990年代初期まで、長年にわたる政治的孤立と西側主要通貨の不足から工業基盤の整備が遅れ、西側の先端技術の導入が抑制されていた。その結果、ガラス・メーカーと石油化学プラントは西側諸国では時代遅れとされるプロセスで生産工場を操業していた。更に、多くの原材料が十分な量を生産できなかったため、主要な石油化学製品と農業用化学製品を輸入に頼らざるを得なかった。このため、当時の中国におけるPGM(白金、パラジウム、ロジウムなど)の需要も小規模にとどまっていたのが実情であった。しかしながら、ここ数年の中国の化学、石油、及びガラス産業の成長ぶりは目覚しいものがある。これら産業はいずれも高度経済成長を背景に1993年頃から生産施設の高度化に取り組んでおり、需要増加に弾みをつけている。

 中国のガラス産業は工業用需要のなかでも最も高い占有率を占めている。これは特にグラスファイバー、テレビ用ガラスの製造増加が大きく貢献しているためだ。実際、中国ではグラスファイバー産業が急速に発達しているが、1990年代前半までは多くのプラントが旧式の大理石溶解技術を使用していたため、建設や自動車産業など近代的な用途に適合する製品を作ることができなかった。だが、建築と輸送基盤への投資の急速な拡大や、西側の自動車メーカーの中国市場への進出により、自動車産業の需要が見込まれるようになったことから、グラスファイバー・メーカーはプラチナとロジウム触媒を組み込んだ大型プラントの増設推進している。また、テレビ用ガラス・メーカーも近代的なカラー受像機に使用するブラウン管(CRT)を製造するためのプラントの高度化を推進している。中国は既に世界でも有数のテレビ生産国に成長しているが、中国政府は引き続き先端技術を駆使した輸出向けテレビ生産プラントへの外国企業の参加を呼びかけている。

化学産業も成長続く
 一方、中国の化学産業もファッション衣料品とパック食品に対する消費者需要が伸びたことから、合成繊維に使用される主要化学製品の製造施設への投資が刺激された。その結果、カプロラクタム、パラキシレン、精製テレフタル酸、酢酸などの生産に使用されるプラチナ、パラジウム、及びロジウム触媒の需要が喚起された。これらの化学製品は繊維産業でナイロンやポリエステルの原料として使用されるほか、ペットボトルやその他の包装材に加工されるポリエチレン・テレタレート樹脂の原料としても使用されている。

【参考文献】『プラチナ1997』(ジョンソン・マッセイ社)、『プラチナ1999』(同)、『プラチナ2001』(同)、『貴金属・アルミのABC』(日経出版販売)、『プラチナのすべて』(田中貴金属工業)

2002/4/15
中国で活発化するジュエリー市場!! 貴金属/白金編26
 中国で宝飾加工用のプラチナ需要が急増した背景には、もうひとつテクニカルな要素がある。中国でプラチナ・ジュエリーを販売する貴金属商、及び宝飾メーカーにとっては、競争の激しいゴールド・ジュエリー市場に比べて、プラチナ・ジュエリーの利益率が高いことは大きな魅力となった。更にジュエリーの原材料となるプラチナ地金が比較的容易に購入できることも、メーカーのプラチナ使用を促進する要因であった。

政府の規制を受けない
 現実問題として中国でゴールド・ジュエリーを製造・販売するには中国人民銀行(中央銀行)から金地金の割当を受けなければならないという事情がある。それにたとえ割当を受けたとしても、数量が不十分なために事業活動が思い通りにいかなかったケースも珍しくない。また、このような状況では中国のファッション・ジュエリー産業への新規進出は極めて困難と言わざるを得ない。これに対してプラチナは政府の規制を受けることがなく、事業計画を推進しやすいというメリットがあった。こうした事情もあって、中国の貴金属商、宝飾メーカーのプラチナ・ジュエリーへの進出が一段と加速したのである。

ブライダルが3分2
 中国の貴金属商、及び宝飾メーカーはプラチナ・ジュエリーへの参入に伴って順調に業績を伸ばしている。中国のプラチナ・ジュエリー市場はその3分の2がブライダル・ジュエリーである。中国ではリングを贈る伝統が西洋とは逆で、結婚時にファセット加工プラチナ・リングが贈られ、結婚式でダイヤモンドをはめ込んだリングが交換される。

 更にリングとネックレスを中心とするファッション・ジュエリーが残りの3分の1を占めている。中国市場では人件費が安いため、世界の他のジュエリー市場に比べ低価格でプラチナ・ジュエリーが消費者に提供される。このため、ファッション・ジュエリーは主として若年中産階級の消費者に強い支持を得ている。

外資の参入も
 現在、中国ではジュエリー産業の技術水準が飛躍的に高まっており、指輪やネックレス、ブレスレットなどのデザインも洗練されたものとなっている。また、当初は多くのプラチナ・ジュエリーが純プラチナ・バーから直接されていたが、1996年以降は多くの貴金属商、及び宝飾メーカーが、鋳造とチェーンの製造に最適とされる10%のパラジウムを含有した合金を使用するようになった。更に各社ともジュエリーの品質基準を高めるために近代的な加工設備への投資を始めている。

 日本や欧米の市場関係者の間では、中国のプラチナ・ジュエリーは今後も長期にわたる発展を期待する声が多く聞かれる。既に先進国の大手製錬業者、宝飾加工業者などは中国におけるプラチナに対する消費者意識を高め、長期的なマーケットの拡大を促進するため、販売プログラムに関する中国の国内メーカーとの協力を進めている。

【参考文献】『プラチナ1997』(ジョンソン・マッセイ社)、『プラチナ1999』(同)、『プラチナ2001』(同)、『貴金属・アルミのABC』(日経出版販売)、『プラチナのすべて』(田中貴金属工業)


2002/3/18
中国で増加続けるプラチナ需要量!!  貴金属/白金編25
 この数年、プラチナの国際市場では中国の動向が大いに注目されている。1990年代半ばに中国はプラチナの需要国として頭角を現し、現在では宝飾加工部門において日本を抜き、世界最大に成長したとの説が有力視されている。だが、中国のプラチナ需要については注目度の高い割りには、意外と情報量が少ないことも確かである。そこで今回から数回にわたり、中国のプラチナ事情を見てみよう。

6割以上が宝飾向け
 中国では金川のニッケル採鉱事業の副産物として微量のPGM(プラチナ、パラジウム、ロジウムなど)が産出されるものの、国内需要の大部分は輸入に依存している。中国が輸入しているPGMは純粋な地金のほか、宝飾品、触媒といった加工製品など多岐にわたっている。中国では金の取引については法律により、中国人民銀行(中央銀行)が輸入窓口として一元化されているが、PGMについては政府の規制を受けないため、ライセンスを取得すれば、どのような組織でも輸入することが出来る。

 ちなみに具体的な数量は明らかにされてはいないが、中国のプラチナ需要の63%が宝飾加工用によって占められており、次に大きいのがガラス製品で14%、石油関連9%、電気7%、化学7%…となっている。最大需要項目である宝飾加工向けは1990年代初期に上海地域で新興中産階級を対象にダイヤモンドをはめ込んだ製品が人気化したのが始まりとされている。95〜96年には中国中部と北部沿岸地域の主要都市に宝石をはめ込んだプラチナ・ジュエリー、及びプラチナだけのファッション・ジュエリーが広く供給されるようになり、一部の内陸部の都市でも多くの小売店で販売されるようになった。現在では小売店の陳列棚の大部分をプラチナ・ジュエリーで占めるほどの人気ぶりである。

上海で人気化する
 中国におけるプラチナの宝飾市場の発展は、いくつかの歴史的、文化的、経済的背景によって加速された。例えば中国では、すでに1920〜30年代にプラチナ・ジュエリーの加工が行なわれていた。当時はアールデコ様式の宝飾品にプラチナが好んで使用され、上海で生活していた裕福な欧米人の間でファッショナブルな宝飾品として人気を集めた。その後、プラチナの使用は非常に低水準に落ち込んだが、中国の宝飾産業はプラチナに関してある程度の知識を持ち続け、加工技術も失われることはなかった。

若者の支持を得る
 少なくとも、1980年代までの中国の宝飾市場は、装飾用と同時に投資目的の側面から、カラット数の高い金製品を持つという考え方が主流であった。しかし、1990年代を迎えると、経済成長とともにファッション・ジュエリー産業が劇的な成長を遂げ、消費者と加工業者の関心がプラチナに向けられるようになった。ダイヤモンドをはめ込んだプラチナ・ジュエリーは、両親との世代との違いを意識する若い中国人消費者を中心に強い支持を得ることになる。

【参考文献】『プラチナ1997』(ジョンソン・マッセイ社)、『プラチナ2001』(同)、『貴金属・アルミのABC』(日経出版販売)、『プラチナのすべて』(田中貴金属工業)

2002/3/4 ハードディスクにもプラチナを使用  貴金属/白金編24
 電気産業部門のプラチナの主要用途はPC(パーソナル・コンピューター)のハードディスクである。かつて、コンピューターといえば極めて複雑かつ高価なものであったため、大企業、或いは大学、シンクタンクの電算室などに使われることがほとんどだった。1980年代の技術革新により、コンピューターのパーソナル化(個人向けに安価で使いやすい製品開発)が急速に進み、90年代を迎えると世界のPC販売台数は増勢の一途を辿っている。

ハードディスクの構造
 ハードディスクの製造には高度な素材加工技術が必要だが、ドライブそのものの構造は意外なほど単純である。すなわち高速回転するディスク上に、可動アームに取り付けられた磁器ヘッドが接近して情報を記録・検索する仕組みだ。

 ちなみに、デスクトップ型のPCには通常アルミニウム製ディスク、またノート型パソコンには高品質のガラス製ディスクがそれぞれ使用されている。このディスクには磁気を帯びたコバルト・ベースの合金がコーティングされているのであるが、その合金はプラチナを含有しているのである。

 ハードディスク上の単位面積当たりの記憶容量は磁気層が生成する地場の強さによって左右される。プラチナの使用量を増やせば、コバルト・ベース合金の磁気特性が強まり、データの記録密度が高まると同時にアクセス時間を短縮することができる。

プラチナのニーズ高まる
 ここ数年はPCのビデオ/オーディオ分野への応用が広まっており、それに伴いディスクの情報記憶容量増大へのユーザーの要求が高まっている。こうしたニーズに応えるため、メーカーは先端的な素材加工技術を導入したハードディスクの生産拡大を迫られているのが実情だ。

 現実問題としてPCのハードディスクの一般的な記憶容量は90年代半ばに250メガバイト前後であったが、2000年末には30ギガバイト以上に達し、実に1,000倍も増加している。こうした展開のなかで、コバルト・ベース合金のプラチナ含有量も拡大傾向を強めている。ロンドンに本拠を置く、ジョンソン・マッセイ社の統計によるとプラチナを使用したハードディスクの製造比率は98年に約50%であったが、99年には75%、2000年90%と高まっており、いずれ100%プラチナに依存するのは時間の問題と見られている。

マイナスの影響も
 このように、PCの普及と技術面での急速な発展により、ディスク当たりのプラチナ使用量は大幅な増加傾向にある。ただし、これは一方でプラチナの需要にマイナスの影響も与えている。記憶容量の増加によってメーカーはハードドライブ当たりの平均ディスク数を減らすことが可能となったのである。2000年までPCのハードドライブには少なくとも2枚のディスクが搭載されていたが、現在ではシングル・ディスク装置が一般的になりつつある。そのため、PC出荷量が伸びているにもかかわらず、ハードディスク生産量が減少するという局面も度々観測されるようになった。

【参考文献】『プラチナ1999』(ジョンソン・マッセイ社)、『プラチナ2001』(同)

2002/2/4  プラチナは様々な産業分野で活躍!! 貴金属/白金編23
 ここ数年のエレクトロニクス、ハイテク、IT産業の成長ぶりは目覚しいものがある。これらの産業にもプラチナは歴史的に深く関わっている。たとえば、発熱電灯は1845年にW.R.グローブ氏によって作られたが、この発熱電灯はガラス容器にプラチナ・ワイヤーのコイルを封じ込めたものであった。また、あの発明王トーマス・エジソン氏もフィラメント素材にプラチナとイリジウムの合金などを使用して実験を続けたことで知られている。更にウィルヘルム・レントゲン氏によるX線機器の開発にもプラチナ製のフィラメントが使用されていた。このような経緯を振り返ってみると、もし、この世にプラチナが存在しなかったら、我々の日常生活は大きく様変わりしていたのかも知れない。そこで今回は、これら産業分野で活躍するプラチナの状況を見てみよう。

プラチナ製の鍋とは?
 現在は電灯やX線機器のフィラメントは、高価なプラチナからタングステンなどに代替されているが、一方で高度な精度が求められる熱電対、半導体単結晶、フェライト単結晶、IC回路、接点、センサー素子、抵抗装置などにはプラチナやパラジウム、ロジウム、イリジウムなどのPGM(白系金属)が欠くことが出来ない。

 ちなみに、熱電対は温度計の一種で、主に製鉄の溶鉱炉、電気炉、及びガラスの溶解炉といった高温測定に利用されている。これらの代表的な存在がPGM素材による温度測定用熱電対で、一般的に800〜1,600℃に対応する熱電対にはプラチナとロジウムの合金、同じく1,000〜2,000℃の熱電対にはイリジウム、ロジウム合金が使用されている。

 電子製品の心臓部である半導体単結晶や、家電製品の主力であるビデオ・ヘッドの主成分であるフェライト単結晶の製造にもプラチナが極めて重要な役割を果たしている。この製造過程にはプラチナ・ルツボと呼ばれる、プラチナ製の鍋が使用される。高純度の半導体単結晶やフェライト単結晶は、少なくとも1,000℃以上の高温状態のなかで製造されるが、この高温に耐えられる鍋(ルツボ)は、プラチナをはじめとするPGMが最も適している。

ITの“縁の下の力持ち”
 ところで、IT産業にとって最も重要な要素のひとつが映像情報である。テレビはもちろんのこと、パソコンや携帯電話などの情報端末機には、鮮明で正確に映像化するためのディスプレイが不可欠だが、このディスプレイの製造にもプラチナは縁の下の力持ち的な役割を果たしている。凹凸やゆがみ、くもりのない、極めて精度の高いディスプレイを製造するためには、1,600℃以上の高温状態で、数種類の原料を溶解しながら均一に混ぜ合わせなければならない。この高温状態で原料を混ぜ合わせるための攪拌棒の表面にはプラチナがコーティングされているのだ。攪拌棒は苛酷な条件のもとで高温に耐え、磨耗が少なく、しかも化学反応に強くなければならないが、この条件をすべて満たす素材は地球上でいまのところ、プラチナ以外に存在しない。

 【参考文献】『プラチナ1997』(ジョンソン・マッセイ社)、『プラチナ1999』(同)、『プラチナ2001』(同)、『プラチナの魅力』(渡部行著、日本工業新聞社)、『プラチナのすべて』(田中貴金属工業)

2001/10/1  PGM触媒機能は製薬業界にも貢献  貴金属/白金編22
 PGM(プラチナ、パラジウム、ロジウムなど)は、ぜん息や心臓病、てんかん、バクテリア感染など一般的な病気の治療に用いられる医薬品の製造過程にも欠かすことができない。薬品は通常、複数の製造過程(プロセス)を経て最終製品となる。たとえば、鎮痛薬に良く使われるパラセタモールの生産にも、さまざまなプロセスがあるが、いずれのプロセスにもプラチナ、あるいはパラジウムの触媒装置によって中間化合物が製造されている。この医薬品の製造のプロセスに使われる触媒は自動車用と区別して『プロセス触媒』と呼んでいる。

医薬品の生産性が向上
 鎮痛薬として知られるイブプロフェンは、もともとプロセス触媒を使用していなかったが、生産効率が悪く、不要な副産物を大量に発生させるというデメリットがあり、そのため店頭での小売価格も高額であった。ところが、1990年代に製薬会社のBHC(ブーツ・ヘキスト・セラニーズ)が開発したパラジウム製プロセス触媒の導入で、イブプロフェンの生産効率は飛躍的に向上し、それが店頭価格の低下につながったという経緯がある。パラジウム製プロセス触媒は、いまやイブプロフェンの製造に欠くことができないシステムとなっている。また、先進国でよく見られるぜん息の発作の治療にはベントリン(サルブタモール)を投与する吸入器がしばしば使われる。このベントリンもパラジウム製プロセス触媒によって製造されている。ほかにも抗うつ剤、経口避妊薬、てんかん薬などもパラジウム製プロセス触媒なしに製造することは難しいのが実情だ。

 一方、プラチナ製プロセス触媒への依存度が最も高い医薬品はβ−ブロッカーである。β−ブロッカーは狭心症や不整脈、高血圧などの心臓病の治療に積極的に使用されている。

 このように世界中の医薬品製造工程には大量のPGMが組み込まれているが、その年間需要はさほど多くない。というのも、触媒力がなくなるとそれは2次精錬(スクラップ回収)に回され、PGMの大部分が回収され、取替用触媒として再利用されるからだ。製薬メーカーが新たにプラチナやパラジウムを手当するのは、新たな製造ラインを導入した場合に限定される。

医療機器にも欠かせない
 ところで、プラチナは医療分野で使われる分析機器にも積極的に使われている。糖尿病患者の血糖値を調べるグルコース・センサーや、危篤の病人や手術中の患者の血中ガスを計る酵素センサーにはプラチナ電極が利用されている。また、臨床医療分野で働く科学者は研究を進めるためにプラチナ部品を使った各種の機器を利用している。DNAの分析をする電気泳動機器には血球分析危機の一部と同様プラチナ電極が使用されているほか、米国企業のサイエックス社が開発した新種の質量分析計には内部で発生する腐食性環境と高温に耐えられるプラチナ製の部品が使われている。サイエックス社が開発した装置は現在では、貝類など食品の毒素の検出、医薬品サンプルのより正確な分析を含むヘルスケア分野など各方面で活用されている。

【参考文献】『プラチナ1997』(ジョンソン・マッセイ社)、『プラチナ1994』(同)、『プラチナの魅力』(渡部行著、日本工業新聞社)、『プラチナのすべて』(田中貴金属工業)



2001/9/17 プラチナコイルが動脈瘤治療に活躍  貴金属/白金編21
 体内に挿入して心臓病の診断、治療を助けるカテーテルのガイドワイヤにはプラチナが使用されている。前回紹介したように、このカテーテルの発明は、心臓疾患の一つであるアテロ[ム性動脈硬化症(脂肪分の堆積で動脈壁が覆われ、心臓発作の原因となる病気)の治療を飛躍的に向上させることとなった。ちなみに、このカテーテルは心臓疾患ばかりでなく、不整脈の検出、治療の進歩にも大いに貢献している。これは電気生理学カテーテルと呼ばれる装置で、主に心臓の電気的反応の調査に使われ、それに基づいてペースメーカーなどの適当な治療法が処方されるようになった。

年50万人が治療
 電気生理学カテーテルは、米国で発明され、近年はウルフ・パーキンソン・ホワイト症候群の治療で大きな成果をあげている。ウルフ・パーキンソン・ホワイト症候群とは、心臓内の余分な筋肉繊維が電気的反応を起して不整脈を起す病気である。この治療法では電気生理学カテーテルの高周波を使って余分な筋肉繊維を除去する。それとともに、治療中は一時的にプラチナ・イリジウム合金のワイヤ製のリード線で体外ペースメーカーを心臓につないで患者の脈を安定させるもので、現在では米国内だけでも推定で年間50万人がこの治療を受けているという。

放射線治療にも貢献
 ところで、プラチナには生体適合性があるので医学的にも一時的、あるいは恒久的に体内に埋め込むには最適の素材である。この特性はすでに述べたペースメーカーなど心臓用埋め込み装置のほかにも、様々な治療で利用されている。たとえば、がん治療においては、放射性イリジウム・ワイヤをプラチナのサヤにおさめた装置を体内に埋めて放射線治療を行う。この治療法はプラチナのX線不透過性、つまりX線画像に鮮明に映る特性を利用して健康な組織を放射能から守る一方で、ワイヤのむき出しになっているイリジウム・チップから腫瘍に照射を行うものである。この方法はがん治療の現場で強力な武器となりつつある。

血管を守るプラチナ
 また、プラチナ製の埋め込み装置は動脈瘤の治療にも効果を発揮する。動脈瘤は管壁の弱さが原因で血管内にふくらみができる症状だが、このような状態で血圧が上昇すると、いずれ血管は破れ、出血にいたる。これが脳内で発生すると命を失うことにもなりかねない。脳外科は伝統的にもっとも治療が難しく危険を伴う分野の一つであるが、プラチナ製のワイヤ・コイルは、こうした脳内の動脈瘤治療でも積極的に採用されているのだ。

 まず、治療の前に、プラチナ製のワイヤは複雑なコイル状に形成される。ワイヤはこの鳥の巣の形を“記憶”するように処理されてからまっすぐに伸ばされ、カテーテル経由で脳内の動脈瘤の患部に埋め込まれる。埋め込まれたワイヤは再びコイル状に変形し、弱い血管壁を補強する。動脈瘤の大きさによって、1〜30個ほど使われるワイヤ・コイルは患者の体内で永久に血管の破裂を防ぐのである。

【参考文献】『プラチナ1997』(ジョンソン・マッセイ社)、『プラチナ1994』(同)、『プラチナの魅力』(渡部行著、日本工業新聞社)


2001/7/30 心臓治療にも貢献するプラチナ電極  貴金属/白金編S
 プラチナは抗がん剤のみならず、ペース・メーカーやカテーテルなどの臨床医療器具にも欠かすことのできない素材として積極的に利用されている。人間の心臓は、通常1分間に70〜80回の収縮運動を繰り返し、血液を送り出している。しかし、心筋こうそく、重症のリウマチなど、心臓の脈拍を阻害する病気になると、活動が不規則になり、収縮運動は1分間に30〜40回に減少し、生命の危険にさらされることになる。そこで、弱くなった心臓に規則的に電気的刺激を送り、心臓の動きを正常にするのが、ペース・メーカーである。

ペース・メーカーとは?
 ペース・メーカーは、マッチ箱ほどの大きさで、機械の本体は左胸の鎖骨の下に埋め込まれる。ここで発信された電気刺激は静脈の中を通したリード線を経て、右心室の壁につけられた先端の電極から直接心臓に伝わり、正しいペースで心臓を作動させる。このペース・メーカー本体の電極はプラチナ90%、イリジウム10%の合金でできているほか、リード線の先端の電極にもプラチナが使用されている。

 ペース・メーカーの素材は、人体に無害というのはもちろんのこと、血液中の酸化還元作用にも錆びたり、化学変化せず、伝導性もよく、心臓の筋肉にもなじむ金属でなければならない。これらの条件をすべて満たす物質がプラチナなのである。

 プラチナは不活性なので体内で腐食することはないし、ニッケルや銅に見られるアレルギー反応が起こる可能性も限りなくゼロに近いことが化学的に証明されている。また、プラチナは金属なので極めて小さく複雑な部品にも加工することができる。伝導性の高いプラチナは電極としても打ってつけの素材だ。さらに、プラチナには、X線不透過性があって、X線画像にも鮮明に映る特性もあり、医師は治療中に装置の位置が監視できるというメリットもある。ちなみに、永久ペース・メーカーは世界で毎年約50万人の患者に取り付けられている。

動脈硬化の治療にも貢献
 ところで、最も一般的な心臓疾患のひとつにアテローム性動脈硬化症がある。これは脂肪分の堆積で動脈の壁が覆われてしまうもので、心臓発作の原因になる。このアテローム性動脈硬化症の治療にはPTCA(風船式血管成形法)が有効だ。PTCAは、先端に小さな風船をつけたカテーテルを患部に挿入し、風船を繰返し膨らませることによって動脈壁に付着した脂肪を除去して血液の通りを良くするというものだ。カテーテルのガイドワイヤの先端にはコイル状のプラチナ・タングステンワイヤが備え付けられており、この先端のプラチナ・タングステンワイヤがガイドワイヤの舵取りをしながらカテーテルを患部まで誘導する。

 先に述べたようにプラチナはX線画像にも鮮明に映る特性があるため、医師はカテーテルの正確な位置を確認しながら治療することができる。このPTCAにより、医師は患者に外科処置を受けさせずに複雑な治療を行うことができ、回復期間を短縮させると同時に合併症のリスクも最小に抑えることが可能となった。

【参考文献】『プラチナ1997』(ジョンソン・マッセイ社)、『プラチナ1994』(同)、『プラチナの魅力』(渡部行著、日本工業新聞社)

2001/7/2  副作用抑制を経て1978年に実用化へ  貴金属/白金編R
 プラチナ化合物のひとつである『シスプラチン』は、プラチナ原子を核に2個の塩素原子、2個のアンモニア原子が結合した比較的単純な\造となっている。このシスプラチンは1962年、アメリカの物理学者バーネット・ローゼンバーグ博士によって、細胞分裂を阻止する性質があることが発見され、1969年にはがん細胞を抑制する効果があることが正式に発表された。しかし、抗がん剤はがん細胞の抑制に有効な半面、強烈な副作用をもたらす欠点がある。これは抗がん剤ががん細胞だけでなく、健康な細胞の一部を損傷することが原因である。

 シスプラチンも例外ではなく、開発早々から“副作用”という暗礁に乗り上げてしまい、一時は実用化が危ぶまれたほどであった。最も厄介だったのは、腎臓の損傷を伴うことで、患者の30%がこの腎障害に悩まされた。また、40%の患者の全身がだるくなり、10%が下痢や耳鳴り、さらに大半の人が嘔吐と食欲不振を訴えた。そして、この副作用を抑制する方法が発見されるまでには実に8年の歳月を費やすことになる。

実用化まで8年の歳月
 副作用抑制のきっかけは、1977年の水和技法の開発が糸口となった。水和技法とは、治療の前、最中、後に大量の水分を患者に与えて腎障害を予防する方法である。また、同時に吐き気を防止する薬を投与することによって、副作用を劇的に抑制することにも成功している。

 1978年には米国のFDA(食品医薬品局)が、シスプラチンについて悪性睾丸、卵巣腫瘍に効果的な薬品であることを認可し、商品名『プラチノール』として市販された。続いてイギリスでは『ネオプラチン』という商品名で市販が開始されたほか、日本でも東京・虎ノ門病院の臨床試験を経て、1984年には厚生省がシスプラチンの抗がん剤新薬の製造を認可、日本化薬とプリストル万有製薬の2社によって販売されている。

 また、これと同時進行して、イギリスのロイヤルマースデン病院の研究者たちによって、シスプラチンに良く似た性質のプラチナ化合物も発見されている。その名は『カルボプラチン』。カルボプラチンは、シスプラチンに比べて毒性が少なく、1986年にイギリスで承認を受け、商品名『パラプラチン』としてブリストル・マイヤーズ・スクイブ社から販売されている。

経口薬の開発に期待
 シスプラチン、カルボプラチンはいずれも点滴で血管に注入するものであるが、現在は経口薬の開発も着実に進行している。これは、ジョンソン・マッセイ社とブリストル・マイヤーズ・スクイブ社の共同開発によるもので、コードネーム『JM216』と呼ばれている。JM216が承認されると、患者は病院に通わずに、自宅でカプセルの形で服用できる。この方法であれば、医療監視の必要が減るため、コストの大幅な削減にもつながる。ちなみに、JM216のプラチナ含有量はシスプラチンの3分の2程度にすぎない。しかし、JM216の標準的な投薬量はシスプラチンの数倍と見られるのでプラチナ消費の増大につながるという。

【参考文献】『プラチナ1997』(ジョンソン・マッセイ社)、『プラチナ1994』(同)、『プラチナの魅力』(渡部行著、日本工業新聞社)

2001/6/18 がん治療に貢献!!  シスプラチンとは  貴金属/白金編Q
 プラチナやパラジウム、ロジウムなどのPGM(プラチナ・グループ・メタル=白系金属)は、医療分野の進歩にも大きく貢献している。一般的にパラジウムが歯科医療用に使用されているのは良く知られているが、それ以外にも抗がん剤や鎮痛剤、抗生物質、ぜんそく薬、臨床医療器具…などその用途は多彩だ。そこで今回から、数回にわたり、医療分野におけるプラチナの活躍について紹介しよう。

がん治療の現状と問題点
 医療の最も大きな課題のひとつに『がん治療』があげられる。がんは、いまも恐ろしい病気であることに変わりないが、その治療は20世紀を通じ目覚しい進歩を見せた。そう遠くない将来、人類がこの恐ろしい病気を克服する日が訪れることも決して夢ではない。ところでがん治療は大きく分けると、@外科手術、A放射線照射、B医薬品の投与…の3つの方法によって成果をあげてきた。早期に発見できれば、腫瘍を外科手術で取り除き、切り取れなかったがん細胞を放射線照射で破壊することが多い。だが、病状が進行してがん細胞が全身に拡がった場合は、抗がん剤での治療が一般的だ。

 抗がん剤はできるだけ正確にがん細胞を抹殺するように設計されているが、健康な細胞の一部を損傷することは避けられず、これがいわゆる副作用を起す。このため、抗がん剤については各方面で賛否両論があるものの、これまでの歴史を振り返るとがんの治癒率の目覚しい改善に、抗がん剤による治療が貢献していたこともまた事実である。たとえば、いまから30年ほど前は、進行性の睾丸がん患者の生還率は全体の3分の1程度であった。しかし、ある抗がん剤の登場により、現在は患者の90%以上が長期治癒による生還が期待できるようになった。

 その抗がん剤の名は『シスプラチン』。すなわち、プラチナをベースにした医薬品である。

細胞分裂を抑制する効果
 シスプラチンは比較的単純な構造のプラチナ化合物で、1845年にはすでに発見されていた。しかし、その抗がん性が知られるようになったのは、1960年代を迎えてからのことである。自動車触媒なヌの多くの科学的進歩がそうであるように、この発見もまったくの偶然によるものであった。

きっかけは、1962年、アメリカのミシガン州立大学のバーネット・ローゼンバーグ教授が、プラチナ電極を装着した装置を使って、電磁場がバクテリア細胞の成長におよぼす影響について実験していたときのことである。この実験で、ローゼンバーグ教授は細胞が予定通りに分裂しないことに気付き、その原因が電極から溶け出した微量のシスプラチンによるものであることが判明した。その後の様々な研究を経て、7年後の1969年には、このシスプラチンの細胞分裂を阻止する性質が、がん細胞の抑制にも有効であることが発表されたのである。シスプラチンは、アメリカの国立がん研究所、イギリスのロイヤルマースデン病院での研究を経て、がん治療の臨床実験用に採用された。だが、一躍脚光を浴びたシスプラチンも、この段階では実用化を阻む様々な問題を抱えていた。

【参考文献】『プラチナ1997』(ジョンソン・マッセイ社)、『プラチナ1994』(同)、『プラチナの魅力』(渡部行著、日本工業新聞社)

2001/6/4 白金の触媒機能は食品分野でも活躍  貴金属/白金編P
 プラチナの触媒機能といえば、自動車排ガス浄化装置(自動車触媒)を連想される方も少なくないだろう。実際、ジョンソン・マッセイ社の需給報告『プラチナ2001』を見ると、世界のプラチナ消費量の約4分の1が自ョ車触媒向けに使用されている。しかし、プラチナの触媒機能は自動車産業以外の分野でも積極的に利用されている。ここでは、一般にはあまり知られていないプラチナ触媒の活躍を紹介しよう。

野菜の鮮度期間が20倍に
 いまや、ショッピングセンターなどへ買物に行くと季節に関係なく、さまざまな食材を手に入れることができる。これは、@魚介類の養殖、A野菜やフルーツの温室栽培、B冷凍・冷蔵技術の発達…などを背景としているが、プラチナ触媒はBの冷凍・冷蔵技術の発展に大きく貢献している。

 一般家庭の冷蔵庫の保存でも、野菜や果物などは空気中に置くよりも鮮度が約10倍も長持ちすることが判明しているが、プラチナ触媒を利用した『大気組成変換冷蔵法』を利用すると、さらにその2倍、つまり20倍の鮮度期間を実現するのである。

 たとえば、リンゴは通常、秋に収穫されるものである。リンゴは収穫されたあとも呼吸を続け、これが老化につながり、鮮度が低下する。つまり、理論上は、リンゴの呼吸を人工的に抑制することによって、老化現象の進行を最低限にとどめ、鮮度を保つことが可能となるわけだ。

大気組成変換冷蔵とは?
 ちなみに、地球上の大気組成は、窒素がもっとも多く全体の78.03%を占めている。次いで酸素が20.99%、その他0.98%となっている。w大気組成変換冷蔵法』は、プラチナ触媒を利用して冷蔵庫内の酸素をプロパンガスと反応させ酸素を3.0%に減少させると同時に、リンゴが呼吸の際に排出する炭酸ガスを吸収して同じく3.0%の水準を維持するように設定する。この環境になると、リンゴは仮眠状態に陥り、通常の冷蔵庫よりも鮮度を20倍に保ち、その結果1年中新鮮なリンゴを市場に供給することが可能となるのである。もちろん、この空気組成変換の初期設定を微妙に調節することによって、他の野菜や果物にも応用することが可能だ。

【参考文献】『プラチナの魅力』(渡部行著、日本工業新聞社)、『プラチナのすべて』(田中貴金属工業)、『プラチナ2001』(ジョンソン・マッセイ社)、『プラチナ2000年中間調査報告書』(同)、『プラチナ1999』(同)

2001/5/21 アジア、中南米の排ガス規制の状況  貴金属/白金編O
 自動車の排ガス規制は、1960年代から70年代にかけて日本と米国が先行し、これにEU(欧州連合)が追随、さらに1990年代を迎えるとアジア、および中南米諸国でも規制法を導入する動きが相次いだ。いまや環境問題の代名詞ともされる排ガス規制の機運は、地球的規模で広がりを見せているのが現状だ。ここでは、アジア(日本を除く)、中南米諸国の排ガス規制の状況を見てみよう。

インド、中国は欧州に追随
 現在、アジア地域の多くの国では法律で自動車触媒の使用が義務づけられている。韓国では自動車輸出の約3分の2が欧米向けであるため、自動車メーカーも必然的に自動車触媒の装填を推進したという事情もあるが、法的は1987年に同国で初の排ガス規制法が導入され、その後も96、98、2000年と規制法の強化を実施している。2000年1月にはNOx(窒素酸化物)の排出規制を強化したばかりでなく、自動車触媒の耐用走行保証距離を16万キロに延長した。

 一方、中国政府は1999年に全国自動車排ガス規制法を発布した。この規制法はEUで93年に導入された『ユーロ1(第一次排ガス規制法)』をベースとしたもので、2004年には小型車を対象に『ユーロ2(第二次排ガス規制法)』に相当する規制強化が実施される予定である。また、中国と並ぶ人口大国であるインドでは、96年にすべてのガソリン車に自動車触媒の装着を義務づけた法律を国内の4つの都市で施行した。この法律もユーロ1をベースとしたものであるが、98年には約40の主要都市が対象となり、さらに2000年4月からは全国規模に拡大された。加えて、インド最高裁判所は2000年4月以降、デリーで販売されるすべての新車がユーロ2に従うよう命じた。これは数年後のインドの全国自動車排ガス規制法がユーロ2に移行することを暗示している。このほか、オーストラリアでは97年に新型乗用車に限定して自動車触媒の装着を法律で定め、99年からはすべての新車がこれの対象となった。マレーシア、シンガポール、タイでも自動車触媒を装着した乗用車が増加傾向にあるのが実情だ。

メキシコはLEVを採用
 中南米では、まずメキシコで1990年に初めて排ガス規制法が制定された。この法律は自動車の排気ガスに含まれる環境汚染物質量を段階的に削減し、最終的にはZEV(ゼロ公害車)の普及を目指す『LEV規制(カリフォルニア州排出基準)』をほぼ100%踏襲している。メキシコで生産された自動車の多くが、米カリフォルニア州に輸出されており、そのためにメキシコでは世界で最も厳しいLEV規制に適合する自動車を生産しなければならないという事情があったからだ。

 また、ブラジルやチリ、アルゼンチンでも90年代を迎えてから相次いで排ガス規制法が制定され、自動車触媒の装着が義務づけられている。これら3ヵ国の排ガス規制はメキシコに比べると緩やかであるが、米国経済への依存度が高いこともあり、『いずれはLEV規制を採用することになるだろう』との声もマーケットでは聞かれる。

 【参考文献】『プラチナ2001』(ジョンソン・マッセイ社)、『プラチナ2000年中間調査報告書』(同)、『プラチナ1999』(同)、『プラチナの魅力』(渡部行著、日本工業新聞社)

2001/4/30 グリーン税制導入  環境への効果は? 貴金属/白金編N
 これまで解説してきたように、日本や欧米では環境汚染への問題意識が高まるにつれて、自動車の排ガス規制も強化の道を歩んできた。しかし、排ガス規制のほとんどは新車を対象としたもので、中古車やすでに個人が保有している自動車に対しては効力をもたない。排ガス規制を強化し、自動車メーカーが低公害車を開発しても、それが普及しなければ排ガス汚染も抜本的に軽減されない…。まして、日本は景気低迷が長期化しており、消費者の自動車の買い替えサイクルもバブル期の4〜6年から現在は10数年にまで拡大しているとの説もある。こうした問題を解決し、クリーンエネルギー車、および低公害車の普及を促進する、ひとつの試みとして導入されたのが、地方税法の改正によって生まれた通称グリーン税制である。

優遇措置を導入
 新年度から導入されたグリーン税制での軽減措置は自治体によってマチマチだが、排ガス汚染が最も深刻な東京都では自動車税を、@電気・天然ガス・メタノール・ハイブリッドなどの『クリーンエネルギー車』は50%、A東京都が指定する低公害車は30%…と大幅に軽減されている(注:いずれも、平成11年4月から14年3月末までに新車登録された自動車に対し、登録の翌年度から3年間)。

 また、東京都では、自動車取得税についても、Bクリーンエネルギー車の税率を、通常自家用自動車で5%のところを2.3〜2.8%に、C営業用自動車、および軽自動車については3%を0.3〜0.8%に引き下げるほか、D一定の基準を満たす低燃費自動車は取得価格から30万円を控除(平成11〜12年度)、E平成12年度、および13年度の自動車排ガス規制に適合した自動車の取得についても、税率を引き下げる…という優遇措置を実施している。

 一方、軽減対象外の自動車は、@新車登録から11年を超えるディーゼル車、A13年以上経過したガソリン車…について、10%重くすることが定められている。

ユーザーの不満の声も
 『低公害車は減税』『古いクルマは増税』というグリーン税制の措置は、長期的に見れば大気汚染の改善につながる効果が期待される。しかし、愛車を何十年も乗り続けるユーザーからは不満の声も多い。

 ユーザー団体のJAF(日本自動車連盟)は昨年9月、低公害車への優遇措置のさらなる拡充を求める半面、『既存車に対して税の重課を行うことには反対』とする要望書を各政党に提出している。また、低公害車の普及によって排ガスが抑制されたとしても、一方で廃棄物(廃車)の増大による二次公害を招く危険性も指摘される。マスコミのなかには、大量生産・大量消費を助長する…との批判もある。

 国土交通省では『グリーン税制の増税幅は、2000CC車で4,000円弱。この増税分を避けるために新車に乗り換えるとは考えにくい』(総合政策局)と、買い替え促進策ではないことを強調しているが、いずれにしても今回の税制措置が排ガス汚染の低減にどれほどの効果を発揮するのか見極めるには長い時間がかかりそうである。

【参考文献・資料】『プラチナ2000年中間調査報告書』(ジョンソン・マッセイ社)、東京都主税局ホームページ(http://www.tax.metro.tokyo.jp/)

2001/4/16 昭和53年に始まる日本の排ガス規制   貴金属/白金編M
 日本は米国と並び、世界に先駆けて自動車の排ガス規制を強化した国である。日本では、高度経済成長を背景に自動車が加速度的に普及した1960年前後から、都市部を中心に排ガス汚染が社会問題化し、自動車排ガス浄化装置(自動車触媒)の開発が加速した。自動車メーカー各社は当初、コストの低い銅やマンガン、クロムなどの重金属を素材とした自動車触媒の研究・開発を進め、1960年代半ばには東京都のパトカーや消防自動車、救急車など公用車の一部に実験的に搭載している。ところが、その後の調査でこれら重金属触媒は粉塵などの二次公害を引き起こすことが判明、73年には全面的に廃止され、人体に無害なプラチナ、パラジウムなどのPGM(白系金属)へ移行している。

JLEVを導入
 75年には日本政府の排ガス規制に関する法案が国会で可決され、78年(昭和53年)に施行された。この排ガス規制法は、当時としては世界で最も厳しいもので、業界関係者の間では、昭和53年にちなんで別名“53年規制”とも呼ばれている。この53年規制をキッカケにして、国内のプラチナ、パラジウムの消費は増加傾向を強めることになる。

 その後は91年に自動車触媒の認定試験制度が改訂されたものの、基本的な排ガス規制の枠組みについては20年以上も変更されなかったのが実情であった。しかし、欧米諸国で排ガス規制が強化されるなかで、日本もこれに追随せざるを得なくなり、98年には米カリフォルニア州のLEV規制(カリフォルニア排出基準=2月19日号/白金編Iを参照)を参考にした排ガス規制改正法案(JLEV=平成12年規制)を国会で可決、2000年10月より新型乗用車を対象に施行された。

排出量を3分の2に!!
 ちなみに、91年の改定値と2000年のJLEVの排ガス規制を比較すると次のようになる(単位:g/km)。
       CO  HC  NOx
1991年  2.10  0.25  0.25
2000年  0.67  0.08  0.08
 JLEVでは、COi一酸化炭素)、HC(炭化水素)、NOx(窒素酸化物)の排出量を3分の2以上も削減することが求められている。しかも、2002年9月からは新型乗用車のみならず、すべての車種に適用することも決定しており、今後、日本の排ガス規制は欧米諸国並みに厳しさを増すのは必至の情勢だ。

 ところで、昨年12月4日号(白金編F)から、先進国の排ガス規制について解説してきたが、そうした規制法にも大きな問題点がある。それは、いずれの規制法も新車を対象としたものであり、中古車や既に消費者が保有している自動車に対してはほとんど効力をもたない点だ。たとえば、日本の53年規制の場合は、昭和53年以降の新車に対して適用されるが、それ以前の自動車は対象外となる。JLEVも同様で、規制法が施行される前に消費者が購入した自動車については効力がない。日本では、そうした状況を鑑みて平成13年度より地方税制が改正され、各方面で議論を呼んでいる。次回は日本の排ガス規制と税制問題について考えてみよう。

【参考文献】『プラチナ2000』(ジョンソン・マッセイ社)、『プラチナ1999』(同)

2001/4/2 欧州排ガス規制で   発展する触媒技術   貴金属/白金編L
 EU(欧州連合)で、2000年1月より施行された第3次排ガス規制法(通称ユーロ3)、および2005年にスタートする第4次排ガス規制法(ユーロ4)は、それまでの有害物質の排出量をより厳しく制限したばかりでなく、自動車メーカー各社に対して技術的な対策を義務づけているのが大きな特徴だ。その技術的な対策とは、@触媒性能の厳格な認定テスト、AOBD(車両搭載分析)システムの導入、B触媒装置の耐久性の強化…などである。

OBDシステムとは?
 ユーロ2(第2次排ガス規正法、96年1月〜99年12月)の触媒性能認定制度では、排気ガスを検査する前に40秒の暖機時間が認められていたが、ユーロ3では自動車のエンジンが始動した時点で排ガスが測定される。これは、排ガスに含まれる有害物質のひとつであるHC(炭化水素)の排出は、自動車のエンジンが始動した直後、つまり暖機時間にもっとも高い数値を出す傾向にあるからだ。結果として、ユーロ3への移行に伴って、自動車メーカー各社はHC排出量の制御技術の改善を迫られ、それがHC削減に高い効果を発揮するパラジウム触媒の需要増加につながったのである。また、ユーロ3では北欧諸国の自動車の運転条件を加味して、エンジン始動時の温度は摂氏マイナス7度と定められている。

 さらに、ユーロ3ではガソリン・エンジンを搭載した新車にOBD(車両搭載分析)システムの装着を義務づけたのも大きな特徴だ。OBDシステムとは、自動車の走行中に触媒装置の機能が低下した場合にドライバーに警告を発するシステムのことで、これにより劣化した触媒装置の迅速な取り替えが可能となる。このOBDシステムに内蔵されている酵素センサーには、プラチナが使用されているが、2003年からはディーゼル車にも装着が義務づけられるため、この分野でのプラチナ消費量を押上げることになりそうだ。

触媒の耐久性強化へ
 ところで、プラチナやパラジウム、ロジウムなど白系金属の自動車触媒向けの消費量は、10年ほど前は自動車一台あたり1グラム前後とされていたが、現在は2グラム前後にまで増加している。これには2つの理由がある。

 ひとつは先に述べたOBDシステムの導入だ。自動車メーカーは、できるだけOBDシステムが作動しないようにするため、触媒装置の白系金属の装填量を増やした経緯がある。もうひとつは、ユーロ3で触媒装置の耐久性の強化が定められたことである。ちなみに、ユーロ2までの自動車触媒の耐用走行距離は8万キロと定められていたが、ユーロ3では10万キロに延長された。この耐用距離の延長に伴って、自動車メーカー各社は白系金属の使用量を増やしたのである。

 また、耐用走行距離の延長は、ガソリンの品質に対する規制強化にもつながっている。というのも、燃料中に含まれる不純物が自動車触媒の機能を低下させ、耐用走行距離を短縮させる恐れがあるからだ。ユーロ3では燃料の硫黄含有量に関する規制を設けたが、ユーロ4ではさらに厳しい規制を定める方針を固めている。

 【参考文献】『プラチナ2000年中間調査報告書』(ジョンソン・マッセイ社)、『プラチナ2000』(同)、『プラチナ1999』(同)、『プラチナの魅力』(渡部行著、日本工業新聞社)

2001/3/19 欧州の触媒需要は『ユーロ2』で加速 貴金属/白金編K
 EU(欧州連合)で、『ユーロ1(第1次排ガス規制法)』が実施されたのは1993年で、日本や米国に比べて20年近い遅れをとっていた。しかも、『ユーロ1』は比較的緩やかなもので、この時点ではプラチナやパラジウムの需要増加にはさほど大きな貢献を示していなかった。欧州地域で、自動車触媒が本格的に採用されはじめたのは『ユーロ2(第2次排ガス規制)』が施行された96年前後からであった。

白金はディーゼルに最適
 96年に施行された『ユーロ2』で特徴的なのは、ガソリン車とディーゼル車に分類して、排出量を制限したことである。まず、それぞれの規制値の推移を見ると次のようになる(単位:g/km)。

欧州の排ガス規制/ガソリン車
   CO HC+NOx HC NOx
93年 2.72 0.97   −  −
96年 2.30 0.50   −  −
00年 2.20  −   0.20 0.15
05年 1.00  −   0.10 0.08

 欧州の排ガス規制/ディーゼル車
   CO HC+NOx NOx PM
93年 2.72 0.97   −  0.140
96年 1.00 0.70   −  0.080
00年 0.64 0.56   0.50 0.050
05年 0.50 0.30   0.25 0.025

※PMは粒子状物質。

 本誌2月5日号(第1093号)でも述べたように、排気ガスに含まれる有害物質はCO(一酸化炭素)、HC(炭化水素)、NOx(窒素酸化物)の3つで構成されている。この3つの有害物質を同時に除去する方式を“三元式触媒”という。ガソリン車の場合、93年の『ユーロ1』から96年の『ユーロ2』への規制強化で、HC+NOxの排出量が約半分にまで縮小しているのが分かる。この規制強化に伴い自動車メーカー各社は、COとHC、NOxを同時に削減する能力があり、なかでもHCの除去に優れた“パラジウム触媒”をガソリン車に採用するようになった。

 一方、ディーゼル車は『ユーロ2』への移行で、COの排出量がより厳しく強化されることとなった。COとHCの除去能力に優れたプラチナと、NOxの削減効果に最高の能力を発揮するロジウムを5対1の比率で組み合わせた“プラチナ・ロジウム触媒”が主にディーゼル車向けに装着されるようになった背景には、こうした事情があった。

厳しさ増す欧州排ガス規制
 1998年に欧州議会は、排気ガスのさらなる規制強化を盛り込んだ『ユーロ3(第3次排ガス規正法)』、および『ユーロ4(第4次排ガス規正法)』を批准した。『ユーロ3』は2000年1月より新型モデルに適用され、今年1月からはすべての新車がこの対象となった。しかし、自動車メーカーのなかには、すでに2005年よりスタートする『ユーロ4』に対応できるガソリン車、およびディーゼル車を販売しているところもある。また、『ユーロ3』には従来の排ガス規制を強化したばかりでなく、いくつかの技術的な対策も盛り込まれている。次回は欧州独自のシステムとも言える、その技術対策について説明しよう。

【参考文献】『プラチナ2000年中間調査報告書』(ジョンソン・マッセイ社)、『プラチナ2000』(同)、『プラチナ1999』(同)

2001/3/5 欧州の排ガス規制 は90年代に本格化 貴金属/白金編J
 欧州の排ガス規制は、日本や米国に比べて大幅に遅れていた。日本や米国で自動車の排ガスを規制しようとする機運が高まったのが1960年代、そして正式に規制法が施行されたのが、70年代であった。これに対し、欧州で排ガス規制が検討され始めたのが80年代半ばで、それが欧州全域で本格的に導入されたのは90年代を迎えてからである。

域内の意思統一が難航
 欧州は様々な国で構成されており、域内の基準を統一するのに時間を要するという問題がある。80年代半ばの段階では、ドイツ(旧西ドイツ)やスイス、英国が排ガス規制の導入に前向きな姿勢を示していたが、フランスやイタリアは極めて消極的であった。当時のフランス、およびイタリアでは自国内の自動車産業の保護育成が足かせとなり、それが排ガス規制に対する姿勢を消極的なものとしていた。つまり、フランスやイタリアは、自動車触媒の導入によるコスト上昇で、自国の自動車産業の国際競争力が弱まるのを恐れていたのである。

 ところが、90年にかけてドイツ、スイス、英国、オーストリア、スカンジナビア半島の一部の国が相次いで排ガス規制を打ち出し、これが欧州全域に広がると、フランスやイタリアもこのままでは他の欧州諸国に自動車を輸出することが不可能になるとの危機感から、排ガス規制を採用せざるを得なくなった。

当初の規制は比較的緩やか
 こうした経緯のなかで、欧州諸国では排ガス基準に対する意思統一がなされ、93年にはEU(欧州連合)で第1次排ガス規正法が実施されたのである。この謔P次排ガス規正法は、ガソリン・エンジン搭載車、およびディーゼル・エンジン搭載車を対象としていた。しかし、その規制値は1キロメートルあたり、CO(一酸化炭素)2.72グラム、HC+NOx(炭化水素と窒素酸化物の合計)0.97グラムで、日本や米国に比べて比較的緩やかなもので、この段階では自動車触媒の普及は、当初の予想に反してさほど大きな伸びを示さなかった。欧州地域で、自動車触媒が本格的に採用され始めたのは95年、より厳しい規制となる、第2次排ガス規正法の施行(96年)を控えてからであった。

【参考文献】『プラチナの魅力』(渡部行著、日本工業新聞社)、『プラチナ2000年中間調査報告書』(ジョンソン・マッセイ社)、『プラチナ2000』(同)、『プラチナ1999』(同)


2001/2/19 加州がリードする 米国の排ガス規制  貴金属/白金編I
 米国の排ガス規制は、州ごとにそれぞれ独自の規正法が定められているが、そのなかで、もっとも規制の厳しい地域がカリフォルニア州である。カリフォルニア州は、全米に先駆けて1962年に排ガス規制を実施、これが全米を対象とした70年の大気浄化法(マスキー法)のひな形となった経緯がある。そして、現在もカリフォルニア州の排ガス規制は、米国の先行指標的な役割を果たしている。裏を返せば、カリフォルニア州の規制状況を把握することによって、将来的な米国の排ガス規制の方向性も見えてくるのである。

LEV規制とは何か?
 カリフォルニア州大気資源委員会は、90年に州内で販売される自動車の排気ガスに含まれる環境汚染物質量の段階的な削減を自動車メーカーに義務づける“カリフォルニア州排出基準(通称LEV規制)”を採択した。これは、@94年に自動車メーカーがカリフォルニア州で販売する自動車の10%を過渡的低公害車(TLEV)としなければならない、A96年にはTLEVの比率を20%に引き上げる、B97年にはTLEVを低公害車(LEV)に置き換える、C2000年には販売車全体に対するLEVの比率を96%にまで引き上げる…というものだ。

 さらに、LEV規制には、D97年に自動車メーカー各社は超低公害車(ULEV)の販売を開始する、E98年には販売車の2%をゼロ公害車(ZEV)とする、F2003年にはZEVの販売比率を10%に引き上げる…という条項まで盛り込まれている。

 自動車メーカー各社は@〜Dをすでに順守、Eについては技術的な問題から遅れているが、各メーカーともFを厳守する意向を表明している。

日本もLEV規制を導入
 また、注目されるのはカリフォルニア州の動きに共鳴して、ニューヨークやマサチューセッツ、メイン、バーモントなどの各州もLEV規制に基づく排ガス規正法を採択している点だ。こうした動きを受けて、98年に米国の自動車産業は全国低公害車(NLEV)導入計画を発表している。このNLEV計画は、自動車産業による自主規制であり、内容的にはほぼLEV規制と同じだが、ZEVの条項は含まれていない。また、日本も2000年10月にLEVを参考にした新たな排ガス規制法(JLEV)を導入、2002年9月には国内で販売される全ての自動車がJLEV規制を満たさなければならないと定めている。ちなみに米国、および日本の低公害車基準は以下の通り。

(単位:g/km)
      CO HC NOx
米連邦  2.1 0.155 0.2
TLEV 2.1 0.078 0.2
LEV  2.1 0.047 0.1
ULEV 1.1 0.025 0.1
ZEV  0.0 0.0  0.0
JLEV 0.67 0.08 0.08


 排ガス規制の先行指標となるカリフォルニア州では現在、大気資源委員会が第2次低公害車導入計画(LEVU)を設定し、2004年から実施する計画を推進中だ。米政府もLEVUを参考にした連邦政府の第2類規制を2004年から導入する方針で、排ガス規制は一段と厳しさを増しそうである。

【参考文献】『プラチナ2000年中間報告書』(ジョンソン・マッセイ社)、『プラチナ2000』(同)、『プラチナ1999』(同)、『プラチナ1992』(同)

2001/2/5 自動車会社の憂鬱  三元式触媒とは?  貴金属/白金編H
 米国がマスキー法(大気浄化法)に基づいた排ガス規制を実施したのは1975年のことであった。そして、80年代を迎えると自動車会社は現在のスタイル“三元式触媒”の確立に成功する。三元式触媒とは、排ガスの主成分であるCO(一酸化炭素)、HC(炭化水素)、NOx(窒素酸化物)を同時に除去するスタイルのことだ。ちなみに、プラチナには低温でもすぐに反応する特性があり、COとHCの除去能力が高いが、NOxの削減効果は小さい。一方、ロジウムはNOx削減に最高の能力を発揮する。パラジウムは、プラチナとロジウムの特性をあわせ持つメタルでHC、CO、NOxを同時に削減する能力があり、特にHCの除去能力に優れている。ただし、80年当時の技術では『パラジウムは、プラチナに比べて低温での反応が鈍く、腐食も早い』という問題をクリアすることが出来なかった。その結果、誕生したのがプラチナとロジウムを1対5の比率で組み合わせた“プラチナ・ロジウム触媒”であった。

ロジウム価格が大暴騰!!
 当時の米国では、この3つの有害物質のなかでも、とりわけNOxに対する規制がもっとも厳しかったことも、プラチナ・ロジウム触媒の採用を促進した。ジョンソン・マッセイ社(JM)の統計によると、81年当時における世界の自動車触媒向けの白金需要は19.9トン、それが90年には約2倍の41.1トンに増加。ロジウムも85年の4.2トンから90年には10.0トンと5年間で2倍以上に増大している。これに対して自動車触媒向けのパラジウム需要は、81年が8.4トン、90年7.1トンと横バイ状態であった。ところが、90年代を迎えると情勢は劇的に変化する。自動車メーカー各社が一斉にプラチナ・ロジウム触媒から、パラジウム触媒への代替シフトに動いたのである。これには大きく分けて2つの理由があった。ひとつは、ロジウム価格の高騰だ。ロジウムの国際価格は89年1月〜10月までは、ざっと1,200〜1,300ドルの高原状態が続いていたが、同11月にこれを上放れ、翌90年1月には2,000ドル大台を突破、さらにその後も高騰が続き、同7月には7,000ドルという超高値を記録した。これが自動車メーカーのプラチナ・ロジウム触媒離れを促進したとされている。

HCの規制強化へ
 もうひとつの理由は、90年代を迎えてから世界的にHCの排出規制が強化されたことである。米国も例外ではなく、90年には大気浄化法修正法が成立、第1類規制にHCの規制強化が盛り込まれた。ロジウム価格の大暴騰と、HC規制の強化、さらに80年当時のパラジウムの弱点であった低温での反応の鈍さと、腐食を防ぐ技術開発により、90年代のパラジウム需要は爆発的に増加するのである。ここ数年のパラジウム価格の高騰で、自動車会社からは、再びパラジウムからプラチナ・ロジウム触媒への代替をほのめかすコメントも聞かれるが、そうなると『80年代の悪夢』と呼ばれたロジウムの大暴騰を引き起こすことになりかねない。ここに、この問題の難しさがある。
【参考文献】『プラチナ2000年中間調査報告書』(ジョンソン・マッセイ社)、『プラチナ2000』(同)、『プラチナ1992』(同)、『プラチナ1990』(同)、『プラチナ1986』(同)

2001/1/22 自動車触媒の歴史   規制は70年代から  貴金属/白金編G
 プラチナやパラジウム、ロジウムなどのPGM(白系金属)の触媒機能は、1817年にイギリスのハンフリー・デービーによって発見されたことは以前にも述べたが、自動車触媒の開発競争が本格化したのは排ガスによる光化学スモッグが社会問題化した1960年代を迎えてからであった。デービーが触媒機能を発見してから140年以上もあとの話である。しかも、世界の3大自動車市場である日本、アメリカ、ヨーロッパの三地域において排ガス規制が国家レベルで始動したのは1970年代半ばのことでその歴史は意外に短い。今回から数回にわたり、3大自動車市場の排ガス規制の歴史と現状、そして今後の展望について解説しよう。

排ガス規制は加州から
 アメリカでは、州ごとに様々な分野において独自の規正法が定められているが、自動車の排ガス規制については何と言ってもカリフォルニア州が最も進んでいる。アメリカのみならず、世界で一番排ガスに対する規制の厳しい地域、それがカリフォルニア州と言っても過言ではない。そのカリフォルニア州が排ガス規制に踏み切ったのは1962年(カリフォルニア規制)のことで、これが全米に波及したわけである。もっとも、アメリカのマスキー上院議員が提唱した『クリーン・エア・アクト(大気浄化法=通称マスキー法)』が成立したのは1970年、さらにマスキー法に基づいて具体的な数値を盛り込んだ排ガス規正が実施されたのは1975年のことで、カリフォルニア規制からずいぶんと遅れをとっている。これは、一説によると触媒装置の開発コストの圧迫に伴う自動車の販売不振を心配した業界団体が、政治的圧力をかけたことが原因とも指摘される。ちなみに、当時実施された規制値は自動車の走行1キロメートル当たりCO(一酸化炭素)2.13グラム、HC(炭化水素)0.26グラム、NOx(窒素酸化物)0.25グラムであった。

NOx除去に優れたプラチナ
 ともあれ、1975年に排ガス規制が実施されてからは、排ガスの環境汚染に対する市民の問題意識が一段と強まり、1980年代にはNOx排出基準が強化され、これがPGMのなかでもNOxの除去に優れたプラチナ、ロジウムの需要増加に拍車をかけることになる。

【参考文献】『プラチナ2000年中間調査報告書』(ジョンソン・マッセイ社)、『プラチナ2000』(同)、『プラチナ1999』(同)、『プラチナの魅力』(渡部行著、日本工業新聞社)

12/4 白金は自動車触媒に最も適した素材  貴金属/白金編F
 11月6日号でも紹介したように、プラチナの用途といえば、宝飾品と並んで触媒関連、なかでも自動車の排ガス浄化装置(自動車触媒)が有名である。ちなみに、ジョンソン・マッセイ社(JM)がこのほど発表した最新の需給報告『2000年プラチナ中間調査報告書』によると、今年の世界のプラチナ需要は177.0トンで過去最高を更新することが予想され、このうち23.5%の41.7トンが自動車触媒に使用される見通しである(2次回収分を除く)。

自動車触媒とは?
 触媒とはいうまでもなく、自分の性質は変化しないが、これと接触する物質の性質を変える作用のあるものをいう。プラチナやパラジウム、ロジウム、などのPGM(白系金属)には、いずれもこうした触媒機能がある。自動車触媒はセラミック製で、弁当箱のような形をしたペレットタイプと、蜂の巣ような形状をしたハニカムタイプの2種類があるが、現在はハニカムタイプが主流である。このセラミックスにわずか1〜2グラムのPGMを付着させ、さらにこれを触媒コンバーターと呼ばれる金属ケースに収め、エキゾーストマニホールドとマフラーの中間の排気管に装備する。こうすることによって、触媒コンバーターを通過した排気ガスを劇的にカットすることが可能となるのだ。具体的には、自動車触媒によって排ガスに含まれる一酸化炭素を95%、炭化水素を92%、窒素酸化物92%もの削減に成功している。

当初は重金属も候補に
 自動車の排ガス汚染に象徴される環境問題が表面化したのは1960年代を迎えてからであるが、当時は世界的に激しい自動車触媒の開発競争が展開された。触媒機能としてはPGMがもっとも優れていることは、研究開発者の誰もが承知していたが、当初はコスト削減を目的として銅やマンガン、クロムなどの重金属触媒の開発も試みられた。しかしこれら重金属には、@自動車走行による激しい振動により、粉塵など二次公害を引き起こす危険性が高い、A自動車の排ガスは走行速度によって300〜1,000℃に跳ね上がるが、こうした高温に重金属は耐えられない、B自動車触媒は少なくとも4〜5年の耐用年数を必要とする…などがネックとなって実用化には至っていない。その結果、人体に無害(プラチナはペースメーカーなど医療関係にも使用されており、人体に無害であることが証明されている)で、融点が1,768℃と高く、高温にも耐えられ、しかも化学的に安定した物質であることが証明されているプラチナを中心としたPGMに軍配が上がったわけである。現在もこの状況に変わりなく、自動車触媒はプラチナとパラジウムを主成分とし、他のロジウム、イリジウムなどは補助的に利用するのが主流となっている。世界各国の自動車メーカーは、4万点の部品をそれぞれ何段階かにランク付けしているが、そのなかでも自動車触媒は最も優先順位の高い『最重要保安部品』に位置付けられている。21世紀を前に、環境汚染への問題意識が世界的な広がりを見せるなかで、自動車触媒のニーズは今後も着実に拡大すると見て間違いない。

【参考文献】『プラチナ2000年中間調査報告書』(ジョンソン・マッセイ社)、『プラチナの魅力』(渡部行著、日本工業新聞社)、『プラチナのすべて』(田中貴金属工業)

11/20 JM創設に関する歴史的エピソード 貴金属/白金編E
 世界的な貴金属精錬加工会社として知られるジョンソン・マッセイ社(JM)は11月14日にロンドン、ニューヨーク、ヨハネスブルグ、そして東京において『プラチナ2000年中間調査報告書』を発表した。JMは毎年5月に年次報告となる『プラチナ調査報告書』を、11月にはその年の需給推定を網羅した『プラチナ中間調査報告書』を発表し、国際市場の信頼すべき参考資料として、世界的に注目を集めている。JMは貴金属のなかでも、特にPGM(白系金属)の研究開発と普及に多大な功績を残しており、そうした歴史的背景が、JMの権威と信頼性を高めたといえる。今回はJMにまつわる歴史的なエピソードを紹介しよう。

世界初の事業化へ
 前回でも述べたように、世界で初めてプラチナの学術的論文を発表したのはイギリスの科学者チャールズ・ウッドであった。1751年のことである。その後、1802年にはイギリス人のウイリアム・H・ウランストンがパラジウム、1804年にロジウムを発見、さらにウランストンの友人のスミスソン・テナントも同年にイリジウムとオスミウムを発見した。PGMは当初、商業ベースに乗せるのは困難とされていたが、これに初めて挑戦したのがウランストンとテナントである。2人はプラチナの事業化に着手し、精錬、加工、販売戦略を推進した。これがJM、つまりジョンソン・マッセイ社の創設につながるのである。
 2人は最初に純度が高く、加工性の高いプラチナの精製技術の確立を目指した。文献によると、ロンドンのバッキンガム通りにあったウランストンの自宅の裏に実験室を作り、そこで3年の歳月を費やして商品化にこぎつけたという。ウランストンとテナントが研究のために共同で購入した天然のプラチナは1815年までに1トンを軽く超えた。その天然プラチナのほとんどは当時、ジャマイカ商人たちの代理として輸入販売していたジョン・ジョンソンから購入していた。天然プラチナは、粗プラチナとも呼ばれ、純度の低いものであった。2人はジョンソンから仕入れた天然プラチナを精練、圧延加工し、需要家向けに中間製品として販売している。

ピストル需要が急増
 ちなみに、この中間製品を購入した需要家の多くはピストル・メーカーで、火打石式ピストルの点火孔と火皿に使用された。実際、この時代にウランストンとテナントが販売した中間製品のプラチナの70%はピストル・メーカーが購入したとの記録も残されている。

 17世紀末に発明された火打石式ピストルは、引き金を引くと撃鉄が倒れ、その衝撃で生じた爆発が火薬に点火する仕組みとなっている。しかし、この爆発は点火孔の金属を腐食し、磨耗させるという欠点があった。こうした腐食・磨耗を防ぐために最高級の銃は点火孔などに金を使用していたが、当時イギリスで200社はあったとされるピストル・メーカーの多くは低コストで耐熱、強度に優れたプラチナを好んで採用した。ピストル・メーカーを中心に中間製品の販売は好調で、天然プラチナの仕入れ値の実に5倍もの収益を2人にもたらしたという。

【参考文献】『プラチナ2000年中間調査報告書』(ジョンソン・マッセイ社)、『プラチナの魅力』(渡部行著、日本工業新聞社)

11/6 触媒機能はドイツが世界初の実用化   貴金属/白金編D
 プラチナは加工性に優れ、厚さわずか0.0002ミリの箔に圧延できるほか、直径0.012ミリの極細の線に加工することが可能である。例えば、1トロイオンス(31.1035グラム)のプラチナを極細の線に延ばすと43キロメートル、極薄の箔ではテニスコート1面分にまで広げることができる。プラチナが発見された当初は『溶けない金属』『未熟な金』などと呼ばれ、さほど重要視されてはいなかったが、今日では宝飾品はもちろん、エレクトロニクスや自動車産業などの工業用、さらに環境関連、医療用と幅広い分野で利用されている。プラチナは、現代の産業や暮らしに必要不可欠な貴金属といっても過言ではない。

触媒機能は偶然の産物
 ちなみに、プラチナの化学的特性について研究し、世界で初めて学術的論文を発表したのはイギリスの科学者チャールズ・ウッドであった。ウッドは1741年、当時南米を支配していたスペイン海軍の貿易拠点であるジャマイカからプラチナを持ち帰り、その後10年間にわたって実験研究を重ねた。そして、1751年にはイギリス王室科学協会で、その研究論文を発表している。

 プラチナの用途といえば、宝飾品と並んで触媒関連、とりわけ自動車の排ガス浄化装置が有名であるが、その『触媒機能』の発見はまったくの偶然からであった。それは1817年、イギリスのハンフリー・デービーによって、細いプラチナ線が、メタンガスと空気の混合ガスのなかで炎なしに青い光をともし続ける現象が発見されたのが始まりである。この現象はプラチナのほか、パラジウムやロジウム、イリジウム、オスミウム、ルチウムといったPGM(白系金属)に共通して見られたが、金や銀、銅など他のメタルでは起こらなかったという。その後、多くの実験・研究が重ねられ、1836年にはJ・J・ベルゼリウムが論文のなかで初めて『触媒』という言葉を使用している。

爆薬の製造に利用される
 ただし、プラチナの触媒機能が実用化されたのは19世紀末から20世紀にかけてで、発見から随分とあとの話であった。しかも、当初のプラチナの触媒機能は自動車ではなく、爆薬の製造に利用されたのである。当時の爆薬の製造は硝石を原料としていたが、これには埋蔵に限界があり、爆薬の増産は困難とされていた。この問題を解決したのがドイツのウイルヘルム・ペッファー、及びウイルヘルム・オズワルドであった。両氏は、幅2センチ、重さ50グラムの波形のプラチナ片を巻いた触媒装置を使い、大気中に無限にある窒素からアンモニアと硝酸を抽出することに成功、1908年には硝酸を1日3トンも生産できる大規模なプラントを建設している。この成功により、ドイツは爆薬の原料である硝酸をほぼ無制限に製造することが可能となった。このことが、ドイツを第1次世界大戦に走らせる遠因のひとつとなった…との説もある。プラチナの触媒機能の発見は、まったくの偶然であったことは先に述べたが、もしこれが発見されていなければ20世紀の歴史は大きく様変わりしていたのかも知れない。

【参考文献】
『A HISTORY of PLATINUM JEWELLERY』(プラチナ・ギルド・インターナショナル)
『プラチナのすべて』(田中貴金属工業)
『プラチナの魅力』(渡部行著、日本工業新聞社)

10/16 プラチナが邪魔者  扱いされた時代…   貴金属/白金編C
 プラチナは融点1,768℃、比重21.45で、金の融点1,064℃、比重19.32に比べてはるかに熱に強く、11%も重い。また、プラチナは酸やアルカリに対しても優れた耐性があり、化学的に安定した物質として知られている。こうしたプラチナは、宝飾品のみならず、先端産業の分野でも今や欠かすことができない貴金属となっている。

融点が高く、加工が困難
 しかし、プラチナが発見された当初は、融点が高く、加工が難しいために『溶けない金属』『未熟な金』などとして軽蔑され、忌み嫌われた。特に1700年代半ばにゴールドラッシュに沸いた南米コロンビアのニューグラナダ地方では、砂金と一緒に砂白金(パウダー状のプラチナ)が採取されたが、砂金と砂白金を分離することができず、金を求めて遠くヨーロッパから訪れた採取者たちを失望させた。人々は分離・加工のできない砂白金を邪魔者扱いにし、多くのプラチナ鉱床が放棄され、採取された砂白金は埋め戻されたり、地面にバラまかれたという。コロンビアは1820年に共和国として独立し、その後も鉱物資源の開発を推進してきたが、プラチナの含有量の多い鉱山では、現在でも鉱石から金の3分の1ほどのプラチナが採取されるという。

金塊の偽造にプラチナ
 1700年代半ばにコロンビアのニューグラナダ地方で採取された金塊は、一旦ジャマイカに集められ、そこから軍艦でスペインに運ばれた。そうした状況のなかで金の偽造事件が多発している。ジャマイカからスペインに移送された金塊のなかに、プラチナの延べ棒に金メッキした偽物が相次いで発見されたのである。さ轤ノ、コロンビアのボゴタやポパヤンの政府造幣局の労働者によって“偽金貨”が製造された…という犯罪記録もある。これは造幣局で金貨鋳造に使用される本物の型を使い、表面は金メッキ、中身はプラチナという代物であった。この偽金貨の製造技術はスペインのマドリードやセビリアを拠点とする犯罪組織にまで継承され、1778年にはカルロス三世の胸像の偽金貨まで出回っている。こうした事態を重く見たスペイン政府は、プラチナの採掘や輸入を禁止したが、密輸があとを絶たなかったという。

プラチナは“小粒の銀”
 ちなみに、『溶けない金属』『未熟な金』として忌み嫌われた白い貴金属は、1735年にスペインの海軍将校ドン・アントニオ・デ・ウローラによって“プラチナ”と呼ばれるようになった。当時、ウローラはコロンビアのニューグラナダ地方を流れるピント川で、銀に似た白く輝く金属を発見し、これを“プラチナ・デル・ピント(ピント川の小粒の銀)”と命名したという。
 つまり、プラチナとはもともと“小粒の銀”という意味だったのである。金はおろか、銀より価値が低いと見なされていたプラチナ。現在、プラチナは宝飾品のみならず、医療や自動車、ハイテク産業など様々な分野で欠かすことのできない貴金属となっている。プラチナの国際価格は金の2倍、銀の120倍の水準にあるが、18世紀のスペイン人たちが現状を目の当たりにしたら、やはり『高すぎる!』と言うのだろうか…。

【参考文献】『あぶにいる 1991年/7号』(エース交易)、『プラチナの魅力』(渡部行著、日本工業新聞社)

10/2 ジュエリーの巨匠が愛したプラチナ 貴金属/白金編B
 古代エジプトで、またコロンブスがュ見する以前のアメリカ大陸において富と権力の象徴としての一端をうかがわせていたプラチナであったが、その後は、失われた技術“オーパーツ”として長い間封印されていた。プラチナがジュエリーの世界で再び脚光を浴びるのは19世紀末のことである。

『プラチナは貴金属の王』
 プラチナを本格的にジュエリーに採用したのは、“ジュエリーの巨匠”ルイ・カルティエであった。カルティエのプラチナに対する思い入れは相当なもので『プラチナこそ貴金属の王である。それは繰り返し自らを主張するであろう』との言葉からもうかがうことができる。カルティエは、1898年に父親の経営する宝飾店で働きはじめたが、当時人々の関心の薄かったプラチナを積極的に採用し、その特性をあますことなく引き出した。ちなみに、19世紀末のジュエリーといえば、ボリューム感のある曲線を主体に構成された“アール・ヌーボー”が全盛であった。そうした時代にあって、プラチナ特有の気品溢れる美しさを引き出すために、カルティエはあえて“ガーランド・スタイル”に挑戦したのである。
 ガーランド・スタイルとは、お城の建築などに用いられたデザインで、花網や植物の葉、房飾りをモチーフにした透かし細工の装飾であった。このガーランド・スタイルは、別名ルイ16世スタイルとも呼ばれる。建築デザインの手法であったガーランド・スタイルを、小さなジュエリーに応用するためには高度で、精密な加工技術を要したであろうことは想像に難くない。カルティエが導入したガーランド・スタイルのプラチナ・ジュエリーは、瞬く間に人々を魅了したばかりでなく、当時の英国王エドワード7世からも『王たちの宝石商にして、宝石商の王』と称えられ、戴冠式の装身具の下命を賜ったほどであった。

大女優を魅了したプラチナ
 19世紀末から20世紀にかけて、アール・ヌーボーを凌駕したガーランド・スタイルは、1920年代の“アール・デコ”へと継承されていった。アール・デコは、平面と直線を基調とした、シンプルな幾何学パターンが特徴で、ガーランド・スタイルの発展した姿と位置付けられている。この時期の欧米諸国は、第一次世界大戦をはさんで女性の社会進出が急速に進み、その結果、職場やショッピングなど日常生活でもさりげなく装飾できるシンプルなアール・デコ調のプラチナ・ジュエリーが人気化したのである。
 ちなみに、往年のハリウッド映画の大スター、マレーネ・ディートリッヒもアール・デコ調のプラチナ・ジュエリーを愛好した女性であった。プラチナにダイアモンド、ルビーを大胆に配したそのブレスレットは、1930年代にディートリッヒがパリのジュエリー・メーカーに自ら注文したもので、実際に映画でも着用している。ディートリッヒは1991年に90歳で亡くなられたが、翌1992年にそのブレスレットがニューヨークのサザビーズのオークションに登場し話題となった。
【参考文献】『A HISTORY of PLATINUM JEWELLERY』(プラチナ・ギルド・インターナショナル)、『プラチナのすべて』(田中貴金属工業)、『プラチナの魅力』(渡部行著、日本工業新聞社)

9/18 謎呼ぶ白金の遺物 オーパーツとは? 貴金属/白金編A
 オーパーツ(OPARTS)をご存知だろうか? オーパーツとは“Out Of Place Artifacts”の略称で、翻訳すると『場違いな遺物』となる。
発掘された古代文明の遺跡などで、その当時ではとても考えられないほど高度な技術によって作られた、科学的に説明不可能な遺物が発見されることがある。たとえば、南米ペルーのリマ市南方にある『ナスカの地上絵』は、約500平方キロの平地に、コンドルや太陽、魚、クモなど約800の図形が描かれている。ひとつの図形の大きさは小さいもので30メートル、大きなものは250メートルに達する。あまりにも巨大な図形のため、地上からでは確認することができず、1938年に灌漑工事のためにナスカ上空を飛んだ民間のパイロットが偶然に発見した。ナスカ文明は紀元前後から6世紀にかけて栄えたとされるが、この巨大な絵がどのようにして描かれたのかは未だに謎である。このほか、ビリ・レイスの地図や水晶のドクロ、三角翼黄金像、クリスタルスカル、巨大石球など具体例を挙げると枚挙にいとまがない。とにかく、これら科学的に説明できない遺物が“オーパーツ”と呼ばれている。

『テーベの小箱』の謎?
 ちなみに、前回の当コーナー(9月4日号)で紹介した『テーベの小箱』も“オーパーツ”のひとつといえる。プラチナは融点が1,768℃と他の金属に比べて高く、その昔は『溶けない金属』と酷評された時期もあった。ちなみに、プラチナの冶金・加工技術が確立されたのは1752年、スウェーデンの化w者シェファーによって成し遂げられている。ところが、そのシェファーがプラチナの加工技術を確立するよりも、遥か2452年も前に『テーベの小箱』が存在していたのである。これは驚くべきことだ。一説によるとテーベの小箱の象眼として使用されていたプラチナは『砂金と同じように、パウダー(砂白金)として採取され、それを加工せずにそのまま象眼としてはめ込んだ』との説もある。しかし、プラチナは、イリジウムやロジウム、パラジウムなど他のメタルとの合金として採取されるのが一般的で、そこからプラチナだけを抽出するには、高度な冶金、加工技術が不可欠である。もちろん当時、天然で混じり気のないパウダー状のプラチナが採取された可能性も否定はしないが…。いずれにしても、エジプト第18王朝(紀元前1567〜1320年)の時代に発掘された『テーベの小箱』がどのように制作されたのかは未だに大きな謎となっている。

失われたインディオの技術
 さらに、もうひとつ、プラチナにまつわる“オーパーツ”が存在する。1532年、スペインのフランシスコ・ピサロがたった200人の兵隊とともに南米のペルーに上陸し、大インカ帝国が滅んだとき、略奪したゴールドやシルバーの宝飾品とともに、大量のプラチナ・ジュエリーも発見されたのである。当時はプラチナをベースに加工された宝飾品ばかりでなく、プラチナとゴールド、或いはシルバーなどと合金加工された鼻輪なども発見されている。原住民のインディオはシェファーが確立するはるか昔からプラチナの高度な冶金・加工技術を有していたのである。はるかな時を隔てた“オーパーツ”、その失われた技術は今も神秘のベールに包まれている。

9/4 貴金属/白金編@
 金、銀、プラチナ(白金)、ダイヤモンド、エメラルド、ルビー、サファイア…。美しいものに憧れ、それを身につけて飾り、さらに収集するという衝動は人間の文化が始まるとともに現れている。ツタンカーメン(紀元前1361〜1352年)の黄金のマスクなどは、その代表例であろう。プラチナも例外ではなく、一部の文献ではエジプト新王国へ移行した第18王朝(紀元前1567〜1320年)の時代に、金とプラチナの合金製の宝飾品や祭事用具があったと記されている。もっとも、当時はプラチナという言葉は使われておらず、一説によると“溶けない銀”と呼ばれていたとか。ちなみに、現存する世界最古のプラチナ製品は、パリのルーブル美術館に所蔵されている『テーベの小箱』である。今回は『テーベの小箱』にまつわる話を紹介しよう。

“テーベ”ってなんだ?
 “テーベ”とは、エジプト新王国時代の第18王朝期から発展の道を歩んできた大都市の名前で、現在この土地はルクソールと呼ばれている。この土地ではツタンカーメン王を葬った“王家の谷”がもっとも有名であるが、実はその大都市“テーベ”の遺跡から、世界最古のプラチナ製iも発見されている。そのプラチナ製品は、第25王朝期の女性神官、シェペヌペット一世の墳墓から出土した小さな化粧ケースで、極めて純度の高いパウダー状のプラチナが装飾されていた。これが『テーベの小箱』である。

 エジプト新王国が第25王朝期(紀元前720〜656年)を迎えた時代は、ナパタ(エチオピア)の王ビアンキによってエジプトのほぼ全域が支配され、その後も4人の王によって統治が引き継がれていた。この統治により、国は繁栄し、祭儀も盛んに行われるようになったのである。そうした時代を反映して大都市テーベでは、神官の勢力が増大していった。

富と権力の象徴として
 ちなみに、第25王朝期の階級制度は厳しく、神官も父親から息子へと世襲されるのがしきたりであった。位の高い神官には巨大な権力と富が与えられ、なかには国家規模の神殿で数千人の弟子を有する神官も存在した…との記録も残されている。

 国が繁栄し、平和な時代が訪れると、女性の社会進出が盛んになるのは、洋の東西を問わないようで、女性神官が増えたのもこの時代であった。女性神官は主に女神の儀式に携わることが多く、そのために貴族の妻女がなるケースが一般的であったようだ。シュペヌペット一世もそうした女性神官のひとりで、高い位と権力、富を与えられていた。長方形の『テーベの小箱』の側面には、シュペヌペットの伝記を表現したと見られる象形文字が刻まれているが、この象形文字の象眼としてプラチナが装飾されている。当時はまだプラチナという言葉は使われていなかったが(プラチナと命名されたのは1735年)、とても美しく珍しい装飾であったには違いない。

 富と権力の象徴として、永遠の白い輝きをいまに伝える『テーベの小箱』。この小さな美しい箱のなかに、人類が歩んできた文明の歴史をかいま見ることができる。

【参考文献】『プラチナの魅力』(渡部行著、日本工業新聞社)、『プラチナのすべて』(田中貴金属工業)

11/27 トウモロコシ編A
環境を良くするエタノール!?
 まるで、当たり前のように米国産穀物の重量単位をブッシェル(bus)と呼んでいるが、案外知られていないのがトウモロコシと大豆とでは、同じブッシェルでも重さが異なることである。実は、トウモロコシの1ブッシェルは56ポンド、大豆は60ポンド、キロ換算すればトウモロコシが25.40キロ、大豆が27.216キロになる。1億ブッシェルだとトウモロコシは254万トン、大豆は272万トンで、双方の違いは18万トンもある。ちなみにブッシェルは日本でいう枡を想像すればいい。つまり、1ブッシェルの枡に入る基準重量がトウモロコシ25.4キロ、大豆27.216キロというわけだ。

コーンスターチの作り方
 ところで、前回はトウモロコシの用途で一番多いのが家畜の飼料用と解説したが、今週号では食品・工業用の用途を紹介しよう。なかでも、一番ポピュラーなのが@コーン・スターチとA異性化糖だろう。これらは『ウェット・ミリング』という過程で作られる。具体的にいえば、トウモロコシを希硫酸に約4日間浸して、胚芽、繊維、でん粉に分離させる。その後、水洗と乾燥を何度か繰り返して、コーン・スターチを製造する。コーン・スターチはダンボールの製造や魚肉など練り物のつなぎに使われるという。

砂糖暴騰が異性化糖需要増やす
 次に異性化糖というと、いかにも化学合成されたかのような響きがあるが、実際にはトウモロコシの甘味を利用した液糖、いわば、シロップのようなもので、コーラ、缶ジュースなどの清涼飲料水、缶コーヒーなどに使われている。異性化糖の英語名はHFCS(ハイ・フラクトース・コーン・シロップ)、まさに名は体を表している。
 異性化糖が脚光を浴びるようになったのはオイル・ショック時にニューヨーク砂糖価格(期近)が1ポンド66.50セントまで上昇、東京粗糖も期先がトン23万円を突破する大暴騰を演じたからだ。すなわち、コスト面からメーカーが原
料を砂糖からトウモロコシにした異性化糖に転換したことがHFCSをポピュラーなものにしたといって良いだろう。

クリーンエネルギーの切り札
 ウィスキーの好きな人ならスコッチ派とバーボン派に分けることができるだろう。バーボンというと米国では定番の飲み物だが、そもそもトウモロコシを原料にしたウィスキーを指す。ちなみにバーボンは、ケンタッキー州のバーボン・カントリーで作ったことから名づけられた。
 ウィスキーは飲むためのものだが、トウモロコシからエタノールと呼ばれる工業用アルコールも製造される。エタノールをガソリンに混合すると自動車の有害排出物の発生を押さえることが出来るため、クリーンエネルギーの切り札として大きな期待を持たれている。

11/20 トウモロコシ編@
コーンは家畜の栄養源!!
 トウモロコシという呼び名は誰もが良く知っているのに、実のところ余り良く知られていない穀物でもある。トウモロコシは、日本人の多くが『夏の暑い日にかぶりつくトウモロコシ』、『冬の寒い日のシチューに入っているスイートコーン』を想像する人が圧倒的に多い。しかし、日本の年間消費量約1,600万トンのうち、そのままの形で食べるのはむしろ例外といってよい。ちなみに日本人はトウモロコシのほぼ100%を輸入しているが、その大部分を世界一の生産国である米国から輸入している。

牛1キロに7キロを消費
 それなら、何がトウモロコシの最大の消費用途なのだろうか。実は日本のトウモロコシ消費の80%近くを占めているのがブロイラー、豚、肉牛、そして乳牛の餌、すなわち飼育用で、食肉や畜産物,そして牛乳という形で、われわれはトウモロコシを口に入れていることになる。先進国では多少の比率の違いはあるが、どの国も飼料用消費がトップにある。
 ところで、家畜が1キロ体重を増やすのにどれだけのトウモロコシが必要なのだろうか。関係者によるとブロイラー2キロ、豚4〜5キロ、牛7〜8キロのトウモロコシが必要といわれる。体重150キロの牛を450キロの体重にしたいとすれば1頭2,100〜2,400キロのトウモロコシが必要な計算(実際にはトウモロコシ単独ではなく配合、混合飼料として使用)。世界的に食肉消費が増えれば、自動的にトウモロコシの消費が増えることになる。

ロシアの食肉輸入に注目
 現在、米国からのロシア向け食料援助が話題になっている。注目してもらいたいのは、トウモロコシのロシア向け輸出数量以外に食肉が含まれる公算が強いことだ。賢明な読者のことだからピンときた方もおられよう。ご想像の通り、米国からロシアに向けての食肉輸出は、最終的に米国国内で飼育されている家畜の飼料としてのトウモロコシ消費を増大させる要因になる。従って、どの畜産物がどれだけ米国からロシアに向けて輸出されるかチェックしておくべきだろう。

中国人が肉を多く食べると
 欧米などダイエットが社会的な問題やファッションになる国では例外になるが、発展途上国では肉食が増加している。経済にゆとりが出てくれば肉を食べたいというのが、どうやら歴史的な習慣のようで、特に中国を中心とした東アジア圏のトウモロコシ需要は、アジアの経済混乱という逆風にありながらも旺盛であると伝えられている。
 何しろ、中国とインドだけで人口が20億人、東アジアだけで世界人口の約4割を占めており、彼らが肉を貪れば資料用のトウモロコシは不足する懸念が出てくる。ちなみに、中国の人口を13億人と仮定し、年間1キロの牛肉需要が増えた場合は約1,000万トントウモロコシ消費が増える計算だ。市場が中国を始めとしたアジアの消費動向に敏感になるのはよく理解できよう。
この資料は、取引判断となる情報提供を目的としたものです。
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